小保方さんの「STAP細胞はあります!」は正しい

日本科学史上最悪の冤罪事件である小保方STAP細胞問題ですが、小保方さんの手記『あの日』を読むと、彼女の「STAP細胞はあります!」という発言は科学的にまったく正しいことが分かります。

2014年4月9日に行われた記者会見において小保方さんは、「STAP細胞はあります!」と、きっぱりと前を向いて言い切った。

さらに、「200回以上STAP細胞を作製した」とも言った。

しかし、この発言が誤解を呼び、200回「キメラマウス」まで作ったかのように報道され、嘘つき呼ばわりされたわけです。キメラマウスの作製やSTAP幹細胞の樹立は小保方さんの担当ではなく、若山氏の担当だったのに・・・。


このいわれのない誤解についは、記者会見の後に小保方氏側から追加コメントが出されてきちんと説明されたにもかかわらず、なぜかメディアには無視されてしまったのです。


この誤解問題については、小保方さんの手記『あの日』に以下のように記載されている。


「・・・その後、不服申し立てに対する記者会見であったにもかかわらず、専門家を名乗る人たちにより「科学的な説明がなく納得できるものではなかった」という批判的な意見が相次いだため、入院中の私の話の聞き取りをもとに弁護士が作成した追加のコメントを出すことになった。
「200回STAP細胞を作ったとする発言」に対しては、「私は、STAP細胞作成の実験を、毎日のように行い、しかも一日に複数回行うこともありました。STAP細胞の作手順は、(1)マウスから細胞を取りだして、(2)いろいろなストレスを与え(酸や物理的刺激など)、(3)1週間程度培養します。この作業のうち、(1)(2)の作業は、それ自体にそれほどの時間はかからず、毎日のように行って並行して培養をしていました。培養後に、多能性マーカーが陽性であることを確認してSTAP細胞が作成できたことを確認していました」と追加で説明し、「Oct4陽性の細胞塊を作製したところまで」を、STAP細胞を作製した根拠として述べたことを追加で説明した。しかし、200回キメラマウスまで作ったかのように誤解されたまま報道され、研究者を名乗る人たちからは、この追加コメントは無視され、「200回もやるには何年もかかる。そんなわけはない」と全否定されてしまう。」(『あの日』171頁)


この部分の記載については、大宅健一郎氏(ジャーナリスト)の記事にあった以下の図が分かりやすい。


STAP細胞」実験の過程


すなわち「STAP細胞」実験には大きく2つの工程がある。


第1工程:細胞を酸処理して培養し、細胞塊(スフェア)が多能性(多様な細胞になる可能性)を示すOct4陽性であることの確認(STAP現象の確認)。ここまでが小保方さんの担当。

第2工程:その細胞塊を初期胚に注入しキメラマウスをつくる。この工程は若山氏の担当。


つまり、2014年4月9日に行われた記者会見で「STAP細胞はあります!」と断言したその意味は、小保方さんが担当していた「STAP現象」は確かにあった、ということであり、細胞が初期化して多能性(多様な細胞になる可能性)を示すマーカーであるOct4陽性を示す細胞塊(スフェア)を得る実験は200回以上成功していた、ということ。(これを故笹井氏は「STAP現象」と呼んでいた。)

そして、そのあとの工程であるOct4陽性を示す細胞塊をマウスの初期胚に注入して母マウスの子宮に着床させて「キメラマウス」を作製する工程は若山氏の担当(責任)だったということ。

重要なことは、理研の再現実験においても、上記の小保方さんの担当部分(細胞が初期化して多能性(多様な細胞になる可能性)を示すマーカーであるOct4陽性を示す細胞塊の作製)には成功していたということである(『あの日』第219頁)。

さらに、丹羽先生による検証実験においても、「肝臓から細胞を採取してATPで酸処理した細胞塊からESと同等なくらいの多能性遺伝子の遺伝子発現」は確認されている(『あの日』第219頁)。

つまり、再現実験においても「STAP現象」が確かにあることが確認されていたということです。

ではなぜ「STAP現象」が確認されたにもかかわらず、検証実験の結論として、STAP細胞はなかった、と発表されてしまったのか?(2014年12月19日の検証実験記者会見)

それは、STAP細胞検証実験の「成功」の条件が「キメラマウス」の作製成功に定められてしまっていたからだ。

しかし、「キメラマウス」の作製は若山氏の担当であり、その技術は極めて高度な手技を必要とした。つまり、若山氏以外には為しえない極めて困難な技能に依存していた。若山氏自身、氏が開発したクローンマウスの再現の困難性について、「場所が変わっただけでできなくなったりする」などと以前語っていたではないか。

さらに重要なことは、若山氏は、検証実験で自分が担当すべき「キメラマウス」の作製実験に参加することを拒否したということ。なぜ拒否したのだろうか?不可解だ。



若山氏は「キメラマウス」をつくる技術を、小保方氏に教えなかったということも重要。小保方氏の要請に対して、若山氏は、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」と答えたという。


ということは、小保方さんは、もともと成功する可能性がほとんどない検証実験をやらされ、検証実験の全責任を背負わされ、さらし者にされた、ということになります。 



以下の大宅健一郎氏の記事が、以上の経緯を分かりやすくまとめています。

●STAP問題の元凶は若山教授だと判明…恣意的な研究を主導、全責任を小保方氏に背負わせ
http://biz-journal.jp/2016/02/post_13989.html
2016.02.26
文=大宅健一郎/ジャーナリスト Business Journal

「私は、STAP細胞が正しいと確信したまま、墓場に行くだろう」

 STAP論文の共著者であるチャールズ・バカンティ博士は、米国誌「ニューヨーカー」(2月22日付電子版)の取材に対して、こう答えた。2015年にもSTAP細胞の研究を続け、万能性を示す遺伝子の働きを確認したという。
 
 また、「週刊新潮」(新潮社/2月11日号)では、理化学研究所・CDB(発生・再生科学総合研究センター)副センター長だった故・笹井芳樹博士の夫人が、インタビューにおいて次のように発言している。

「ただ、主人はSTAP現象そのものについては、最後まで『ある』と思っていたと思います。確かに主人の生前から『ES細胞が混入した』という疑惑が指摘され始めていました。しかし、主人はそれこそ山のようにES細胞を見てきていた。その目から見て、『あの細胞はESとは明らかに形が異なる』という話を、家でもよくしていました」
 ES細胞に関する世界トップクラスの科学者である2人が、ES細胞とは明らかに異なるSTAP細胞の存在を確信していたのだ。

 一体、あのSTAP騒動とはなんだったのだろうか――。

■ファクトベースで書かれた手記

 小保方晴子氏が書いた手記『あの日』(講談社)が1月29日に発刊され、この騒動の原因が明らかになってきた。時系列に出来事が綴られて、その裏には、関係者間でやりとりされた膨大なメールが存在していることがわかる。さらに関係者の重要な発言は、今でもインターネットで確認できるものが多く、ファクトベースで手記が書かれたことが理解できた。いかにも科学者らしいロジカルな構成だと筆者は感じた。

 しかし、本書に対しては「感情的だ」「手記でなく論文で主張すべき」などの批判的な論調が多い。特にテレビのコメンテーターなどの批判では、「本は読みません。だって言い訳なんでしょ」などと呆れるものが多かった。

 手記とは、著者が体験したことを著者の目で書いたものである。出来事の記述以外に、著者の心象風景も描かれる。それは当然のことだ。特に小保方氏のように、過剰な偏向報道に晒された人物が書く手記に、感情面が書かれないことはあり得ないだろう。それでも本書では、可能な限りファクトベースで書くことを守ろうとした小保方氏の信念を垣間見ることができる。

 また、「手記でなく論文で主張すべき」と批判する人は、小保方氏が早稲田大学から博士号を剥奪され、研究する環境も失った現実を知らないのだろうか。小保方氏は騒動の渦中でも自由に発言する権限もなく、わずかな反論さえもマスコミの圧倒的な個人攻撃の波でかき消された過去を忘れたのだろうか。このようないい加減な批判がまかり通るところに、そもそものSTAP騒動の根幹があると筆者はみている。

■小保方氏が担当した実験は一部

 STAP騒動を解明するために、基礎的な事実を整理しておこう。

 小保方氏が「STAP細胞」実験の一部だけを担当していたという事実、さらに論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったという事実は、しばしば忘れられがちである。いわゆるSTAP細胞をつくる工程は、細胞を酸処理して培養し、細胞塊(スフェア)が多能性(多様な細胞になる可能性)を示すOct4陽性(のちに「STAP現象」と呼ばれる)になるところまでと、その細胞塊を初期胚に注入しキメラマウスをつくるまでの、大きく分けて2つの工程がある。



【「STAP細胞」実験の過程】

 小保方氏が担当していたのは前半部分の細胞塊をつくるまでである。後半のキメラマウスをつくる工程は、当時小保方氏の上司であった若山照彦氏(現山梨大学教授)が行っていた。

 もう少し厳密にいえば、小保方氏が作製した細胞塊は増殖力が弱いという特徴を持っているが、若山氏は増殖力のないそれから増殖するように変化させ幹細胞株化(後に「STAP幹細胞」と呼ばれる)させるのが仕事だった。つまり、「STAP現象」が小保方氏、「STAP幹細胞」が若山氏、という分担だが、マスコミにより、「STAP現象」も「STAP幹細胞」も「STAP細胞」と呼ばれるという混乱が発生する。

 本書によれば、若山氏はキメラマウスをつくる技術を小保方氏に教えなかった。小保方氏の要請に対して、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」と答えたという。
 
 この若山氏の言葉は見逃すことはできない。なぜなら、STAP細胞実験を行っていた当時、小保方氏はCDB内の若山研究室(以下、若山研)の一客員研究員にすぎなかったからである。小保方氏の当時の所属は米ハーバード大学バカンティ研究室(以下、バカンティ研)であり、若山氏は小保方氏の上司であり指導者という立場であった。

 当時の小保方氏は、博士課程終了後に任期付きで研究員として働くいわゆるポスドク、ポストドクターという身分だった。不安定な身分であることが多く、日本国内には1万人以上いるといわれ、当時の小保方氏もそのひとりであり、所属する研究室の上司に逆らうことはできなかったのだ。

 この弱い立場が、のちに巻き起こるマスコミのメディアスクラムに対抗できなかった最大の理由である。メディアがつくり上げた虚像によって、まるで小保方氏が若山氏と同じ立場で力を持っていたかのように印象づけられていた。

■ストーリーありきの実験

 話を元に戻す。小保方氏は若山研の所属になる以前、留学先のハーバード大学でバカンティ教授からSTAP細胞の初期のアイデアを得ていた。バカンティ教授は、「非常に小さな胞子のようにストレスに強い共通の幹細胞が全身の組織に存在しているのではないか」という仮説を提唱していた。バカンティ教授はそれを「スポアライクステムセル(胞子様幹細胞)」と名付けていた。

 小保方氏はその仮説を検証するために日夜研究に没頭し、ついにその証拠(Oct4遺伝子発現)を得ることになる。その結果をバカンティ教授の前で発表すると、バカンティ教授は、両手で固くこぶしをつくった後に目を見開き、「過去15年で最高のプレゼンテーションだった」と喜んだという。

 しかし、細胞が多能性を持つかどうかを証明するには、その細胞からキメラマウスを作製しなければならなかった。現在の生命科学界ではそれが一番厳密な証明とされているからだ。小保方氏はキメラマウスの実験を行うため、他の教授からの推薦もあり「キメラマウス作製の第一人者」である若山氏を紹介され、バカンティ研の所属のまま若山研の客員研究員となったのだ。

 本書によれば、小保方氏はキメラマウスの作製方法を若山氏から教わることなく、若山研で細胞塊の作製を淡々とこなすようになる。いつしか研究は若山氏の主導のもと、海外の有力科学雑誌への論文投稿が目的化し、論文のストーリーに合わせた実験へと変節していく。「ストーリーに合わない、つじつまの合わないデータは使用しないように」という指導まで小保方氏は受けている。信じがたいことに、実験が正しいかどうかを判定するための「コントロール実験」も行わなかったという。研究メンバーも全員、若山氏の意向に沿うようになり、強引な研究姿勢に異を唱える者もいなかった。

 そもそもバカンティ教授の仮説から始まり小保方氏の検証から動き出した研究の主導権が、完全に若山氏に渡ってしまい、ついには若山氏が特許配分51%を要求するまでになる。バカンティ研所属でいながら若山研の客員研究員という複雑な立場の小保方氏は、アメリカと日本の大先生の板挟みとなっていく。

 小保方氏は、細胞で起こる「新たな現象」(STAP現象)の研究を深めていきたいと若山研に移ったが、いつの間にか若山氏しか成功していない「新たな幹細胞株の確立」(STAP幹細胞)の研究と論文作成を部下として手伝う立場になっていた。

 自ら選んだ研究テーマが、もはや自由に研究できる立場でなくなり、しかも若山氏が主導した論文のストーリーに合わせた研究が続く毎日。「もうアメリカに帰ろうと思っている」と研究メンバーに打ち明けた。その直後、CDBの小さな研究室のユニットリーダーに募集しないかと声をかけられ、自分が望む研究ができるならと面接を受け、紆余曲折を経て小保方氏はCDBのユニットリーダーとなる。

■若山氏の責任

 その間、若山研による論文投稿は難航していた。その状況を劇的に変えたのが笹井氏だった。笹井氏はネイチャー誌にいくつもの論文が掲載された実績を持ち、世界的にも有名な科学者だった。笹井氏の指導により、論文は見事に整理され、ネイチャーへの掲載も決まった。
 そして笹井氏の命名により、小保方氏が検証した細胞の現象を「STAP」(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency:刺激惹起性多能性獲得)と呼ぶようになった。この名称が示すように、「STAP」とは小保方氏が検証した細胞の現象を示す意味合いが強かったことがわかる。

 その後、論文に不備が見つかり、のちにこれが不正と判断されることによりマスコミの過剰報道を交えた大混乱が起こったのは周知のことだろう。画像の間違い等によるミスに関しては、小保方氏は会見や本書において何度も謝罪をしている。

 しかし、ポスドクの立場で部下として研究に携わり、当時の上司であり指導者であった若山氏が主導した論文投稿に協力した小保方氏に、全責任を負わせたのは明らかに間違いだといわざるを得ない。

 若山氏は、小保方氏と同じ責任を負ったのだろうか。いや指導者という立場であれば、研究員への指導責任によりはるかに重い責任が負わされたとしてもおかしくはないだろう。

 2月11日付当サイト記事(http://biz-journal.jp/2016/02/post_13735.html)において、東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏は、加藤茂明・東京大学分子細胞生物学研究所教授(当時)が責任著者として発表した複数の論文のなかにグループメンバーの一部による不正あったことに対する監督責任を取って、東大教授を辞職した例を挙げ、「なぜ、加藤氏と若山教授の扱いが、こんなに違ってしまうのだろう」と指摘している。

 さらに、若山氏が15年に、「絶滅動物の細胞再生および有用遺伝子回収方法の確立」というテーマで、基盤研究(A)として年間975万円の研究費を受け取っていたという事実から、「文科省ガイドラインに準じれば、そもそも彼には科研費に応募する資格がない。なぜ、山梨大も文科省も、このことを議論しなかったのだろう」と指摘している。

 前述のとおり、STAP論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったが、世間では小保方氏の画像の間違い等による不正認定が原因だと広く認識されている。

 次回は、その真相を探っていく。そこには、若山氏が責任を回避したマジックが隠されているのだ。

(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)

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