せんだいメディアテークの耐震構造美学

先日帰省した長男に聞くと、311の二日前の3月9日に「せんだいメディアテーク」で行われた「せんだいデザインリーグ 卒業設計日本一決定戦」を見に友達と仙台まで行っていたらしい。なんと。

伊東豊雄氏が設計したこの「せんだいメディアテーク」という建物については、ウォールストリートジャーナルの「巨大地震に耐えた「せんだいメディアテーク」 ー 芸術と技術の見事な融合」という記事(2011年 5月 12日)が興味深い。
http://jp.wsj.com/Japan/node_235441

YouTubeにアップされた311地震の際に建物の内部で撮られた映像↓がなまなましい。
http://www.youtube.com/watch?v=heh5ITmYbRs

311巨大地震の直撃に良く耐え抜いたせんだいメディアテークは、世界的建築家・伊東豊雄氏設計、構造設計は佐々木睦朗氏による。世界に誇る耐震設計と美しさが両立。技術と芸術の調和的融合の実例。

せんだいメディアテークの外観↓

ぜんだいメディアテークの鉄骨格子構造↓


以下の記事は、、大正12年(1923年)9月1日(土)11時58分に発生した関東大震災(M7.9)に耐えた帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの「浮き構造」にも言及されている。おもしろい。フランク・ロイド・ライト伊東豊雄に共通するものは何か?

この記事の筆者であるエイダ・ルイーズ・ハクスタブル女史は、ウォール・ストリート・ジャーナルの建築評論家である。結構おもしろい記事だ。建築に興味のある人もない人も一読の価値あり。

<以下転載>
「巨大地震に耐えた「せんだいメディアテーク」 ー 芸術と技術の見事な融合」(2011年 5月 12日)
建築物がネット上で大きな話題を呼ぶことはめったにないが、大地震のさなかに撮影された伊東豊雄氏設計の「せんだいメディアテーク」の動画は異例の再生回数を誇っている。そこには、3月11日に日本を襲ったマグニチュード9.0の地震発生時、建物の中は一体どういう状態であったかが生々しく映し出されており、思わずめまいを誘う(www.youtube.com/watch?v=heh5ITmYbRs)。

 動画は、当時7階の美術文化ライブラリーにいた人がテーブルの下に避難しながら撮影したもの。建物が激しく左右に揺れ、棚や机からはあらゆるものが床にこぼれ落ちてきている。頭上では天井のパネルがゆらゆら揺れているように見える。だが、メディアテークは崩壊しなかった。多くの建物を破壊した巨大な地震力にしっかりと耐えたのだ。基本構造は崩れなかった。

 伊東豊雄氏は日本はもとより世界で最も著名な建築家の一人で、同氏が手掛けたメディアテークは外観の美しさと先鋭的な構造設計で国際的に高い評価を得ている。竣工は01年で、伊東氏のデザインは設計コンペで勝ち残って採用された。

 この美術や芸能をはじめコンピューターの利用や無料インターネットアクセスに至るまで幅広い文化活動に対応した双方向型マルチメディアセンターは、すぐにあこがれの人気スポットとなった。筆者自身の記憶には青々とした並木道に囲まれた穏やかでうっとりとする建物の光景が刻み込まれており、メディアを埋め尽くす悲惨な震災地の映像とはまったく結びつかない。

 だが、その外観は必ずしも大規模自然災害に耐え得るようには見えない。明るさと透明性を強調した全面ガラス張りで、通りからほぼすべてが透けて見え、中には7階建ての開放的な空間が広がっている。モダニズムに懐疑的な人たちが危険で信頼性がないと批判するような建築物だ。欠陥が見つかれば、そらみたことかと一斉に非難されかねない。

 メディアテークが大地震に耐えたことを奇跡と呼ぶのは簡単だ。だが、そうではない。その並外れた反発力は、創造的な建築家と同じく創造的な技術者、佐々木睦朗氏との密接なコラボレーションのたまものだ。建築構造家の佐々木氏は、挑発的なデザインを本来のビジョンを犠牲にすることなく安全性の高い建築物へと転換させる、画期的な仕組みを考案する能力に優れた人物として知られている。

 伊東氏も佐々木氏も、設計段階で発生した95年の阪神・淡路大震災で得た教訓を常に心に留めていた。両氏は力を合わせ、地震国である日本の厳格な建築基準を克服し、新たな審美的・構造的モデルを生み出した。

 ここで思い出すのが、やはり過去に大地震を耐えたもう1つの伝説的建築物、フランク・ロイド・ライト設計の東京の帝国ホテル旧館だ。こちらも1923年の関東大震災で崩壊を免れた数少ない建物の1つ。メディアテークの竣工から約1世紀も前、建築技術も今ほど発展していなかった時代に建築された帝国ホテル旧館は、メディアテーク同様に当時の様式と構造技術の発展をどん欲に追求した建物だった。

 だがその後時代は大きく変わった。通信や建築は一変した。生活スタイルや世界情勢もそうだ。今も変わらないのは自然の破壊力だけだ。

 ライトは何週間も船酔いに耐えながら太平洋を行き来した。だが今や海外へは飛行機でひとっ飛びだ。設計や仕様作成はコンピューターを使って行われ、その世界規模での展開にもコンピューターの助けが不可欠だ。

 ライトが、顧客であり後援者でもあるバロン・オークラこと大倉喜七郎から、あの有名な「ホテルは天才の記念碑のように無傷で建っています。おめでとう」と打電された電報を受け取るまでに数日要した。ライトはこの朗報を素直に喜んだに違いない。だが今やインターネットのおかげで、伊東氏の設計した建物がいかに揺れに耐えたかをわれわれは瞬時にライブ映像で見ることができる。

 帝国ホテル旧館は、レンガと大谷石を使用した重厚かつ精巧な洞窟のような建物で、細部には奇抜でロマンチックな装飾が施されていた。その近代的なデザインは、ライト自らが提唱した型破りな「プレーリー様式」と自身の特異な生活スタイルに由来している。建物の土台には、数世紀前の手法を用いて入念に手作業で組み立てられた竹製の足場が用いられた。

 このライトの建築物が地震に耐えたのも決して偶然ではない。ライトと伊東氏に共通するのは、いずれも建築家と技術者によるチームワークを大切にしていた点だ。ライトは、日本の顧客から耐震構造建築を請け負ったとき、技術者のポール・ミューラーをシカゴから呼び寄せた。

 ライトもミューラーも、米イリノイ州シカゴの不安定なぬかるんだ地盤に高層ビルを建設するにあたって開発された「浮き構造」に精通していた。帝国ホテル旧館は独立した小部分が複数つなぎ合わされており、それぞれに個別の浮き構造の基礎が用いられていた。つまり、揺れに合わせて動くようになっていたのだ。

 この柔軟な土台は、堅牢な建物さえも崩壊させるような強力な地震力を吸収した。最終的に帝国ホテル旧館は1968年に自然災害ではなく、人手によって取り壊され、今は入り口と玄関部分を復元したものが愛知県犬山市明治村に残されている。

 伊東氏の明るさと流動性、透明性を強調したミニマリスト的美学は以前の日本では想像も及ばない、不可能なものであったに違いない。近代建築の材料や
技術が開発されていた当時、日本はまだ今のような先進国ではなかった。

 日本は今、デザインやデジタル産業で最先端を行っている。だが、佐々木氏はハーバード大学デザイン大学院の2002年の刊行物で次のように述べている。「せんだいメディアテークほど建築的または構造的思考を追求した建築物はない」

 建築家による技術者への要求はときに手ごわい。佐々木氏は、設計開始当初に伊東氏が空港から送った1枚のスケッチについて、「無数の、海草のように自在に揺れる鋼管が床板を支える仮想世界が表現されており、まるで建築物には重さや形がないかのようだった」とし、その想像図は「詩的ではあったが、まったく現実離れしていた」と記述している。
で描かれたメディアテークの鉄骨格子

 では佐々木氏は、どのように詩的な海草のような浮き構造の世界をマグニチュード9.0の地震に耐え得る建築物として実現したのか。「建築家の頭に描かれた重さや形のない建築物」という先例のない構造設計を要する、先例のない建築物にどう対処したのか。

 佐々木氏はまずスケッチを個々の構造部、すなわち床、梁(はり)、柱、基礎に分解した。伊東氏の描いた薄い床板は、従来の梁や壁による支えなしにはコンクリートで実現することは不可能だったが、梁や壁は重さや厚さの問題で使用できなかった。そこで佐々木氏は鋼鈑サンドイッチ構造を採用し、網状に張り巡らせた鉄骨で内部を補強することでわずか約40センチの薄い床板を実現した。溶接には船舶建造で使用されている技術を使用した。

 高層建築に使用されている分厚い床板は通常、頑丈な柱で支えられている。だが、今回は支柱をできる限り軽く、透明にすることが要求された。佐々木氏は中空鋼管の枠組みの代わりに、小さな鋼管で構成されたらせん状の格子を使用した。この鉄骨格子は全部で13本あるが、建物全体の重さを支えているのは4隅に配置された直径約6〜9メートルの最も大きい格子4本だけだ。

 残りの9本の格子はサイズや直径がばらばらで、建物全体にさまざまな角度で不規則に配置されている。これは「浮遊する海草」という伊東氏のイメージどおりだ。これらのさまざまな角度に配置されたらせん状の支柱が建物に構造的強度と強靱(きょうじん)性を与え、耐震性を高めている。またこれらは内部に光を採り入れたり、エレベーターや階段、配管・配線を通す役割も果たしている。

 地下は、頑丈な支柱が使用され、弾力性と変質性のある折れにくい梁でつなぎ合わされた枠組みにしっかりと固定されている。角に配置された支柱は建物にかかる主な圧力を地下に誘導するとともに、地震エネルギーをこの枠組みへと導く役割も果たしている。そうすることでエネルギーを60〜70%吸収し、上部へかかる圧力を軽減している。震災後の技術検査では、この佐々木氏の考案した仕組みが機能したことが確認された。

 メディアテークは幸いにも津波を免れ、被害があったのは1階と3階のガラス、南側の二重窓の一部、最上階の天井の一部、太陽光設備、屋根の送風管だけだった。現在修理が行われており、メディアテークの発表によると今月中に4階までが、6月初めに5階と6階が再開される予定。

 建築家の意図を最終的な建築物に具現化しているのは、構造建築家の合理主義と専門知識だ。佐々木氏は通常時と極限状態における安全性と安定性に対する責任感をいかんなく発揮した。

 だが、この両者の創造的な関係性とその複雑で繊細なプロセスはほとんど認知されていない。佐々木氏いわく「別個の存在としての構造が消滅し、建築設計と視覚的に融合した瞬間に芸術と技術の最適解が得られる」。想像を具現化し、建築物を芸術へと昇華させるには建築家と技術者双方の力が必要だ。
(筆者のエイダ・ルイーズ・ハクスタブルは、ウォール・ストリート・ジャーナルの建築評論家)
<転載終了>