エジプト動乱の行方

一昨日、エジプトのムバラク大統領が辞任した。NHKの報道では、強権的な独裁者がいなくなって市民はお祭り騒ぎ。

しかし、副島隆彦氏によると、今日現在、エジプトは軍事クーデターによって、権力が軍隊によって掌握されてしまったとの見方をしています。背後にイスラエルの動きがあるらしい。

以下、副島隆彦氏の学問道場から転載させていただきます。

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副島隆彦です。 今日は、2011年2月13日(日)です。

エジプトで、軍事クーデターが起きたようである。
 軍最高評議会(ぐんさいこうひょうりかい)を名乗る 軍人の組織が、エジプトの 最高権力を握りしめた。代表は、タンタウィ国防相 である。 

 ムバラクは、エジプト東部の保養地(宮殿)に、逃げ込んで立て籠もっている。ムバラクは2月11日(金)に、辞任して スレイマン が、大統領に就任したはずだった。 ところが、このスレイマンの肩書きが、一気になくなっている。 スレイマンは軍に 拘束されていないし、まだ表面に立つと思う。しかしすでに一挙(いっきょ)に権力を軍人たちに奪われたようだ。  

 11日夜には、金曜礼拝のあと、数百万人のエジプト人が、大通りに出て、ムバラク退陣( demise デマイズ、退位、権力移譲)を 歓喜して湧(わ)きに湧(わ)いた。 ところが、そのすぐ 直後に、クーデターが起きて、軍最高評議会を名乗る 軍人たちが全権を掌握(しょうあく) した。

 2月にはいってから ムバラクに 任命されていた シャフィクという男が、首相になって、内閣を組織して、表面上だけ議会制度とデモクラシー(民主政治)のふりをするだろうが、この男にも権力はない。

 この軍事クーデター政権は、12日夜には、テレビで声明を出して、「外国との諸条約は守る。イスラエルとの平和条約(これでシナイ半島がエジプトに返還された) を守る」 と、宣言している。 と言うことは、今回の エジプトの 国民革命、国民の民主化(デモクラタイゼーション)を要求する 民衆革命は、ひとまず、巧妙に圧殺された、ということである。 これは、静かな宮廷(きゅうてい)革命の形をとった。

 背後にイスラエルの動きがある。かなり深く、エジプトの官僚組織や国軍の中にまでイスラエルの組織が潜(もぐ)り込んでいることを示している。

 アメリカの今のCIAの長官のレオン・パネッタは、ビル・クリントンのお友達だった男であり、CIAの本部は機能不全を起こしているからオバマたちは、今のエジプトの民衆革命の動きを判断できないままだ。アメリカに見捨てられたと思った、ムバラクたち(彼の側近の勢力。まだ残存している。治安警察の部隊が中心)は、アメリカに裏切られたと思って、疑心暗鬼で、反米(アンチ・アメリカ)に転じている。

 このあと、何が起こるか。エジプト民衆の 500万人は 街頭の民衆デモに出ることをやめた。タハリール(自由解放)広場にいる 2万人ぐらいの 若者と 民衆活動家だけが残された。

 私、副島隆彦の判断と、近(きん)未来予測では、この若者たち の中から、さらに500人の犠牲者が出なければ、民衆は再び 広場に戻ってこない。 エジプト人は、皆、自分が逮捕され、投獄されることを恐れている。  それでも、若者たちは、クーデターで権力を掌握した軍の 実質、「戒厳令(マーシャル・ラー)」の 戦車隊 と ぶつかるしかない。 

 軍隊と 若者たちが、ぶつかって、死者を出さなければ、エジプト民衆革命は、勝利しない。 エルバラダイのような アメリカ暮らしの長い、リベラル派の知識人たちは、若者たちと連帯して、エジプトの民主国民革命の成功のために、殉教(じゅんきょう)するだろう。

 やはり、エジプトの最大の国民勢力は、最大野党で、非合法化されている (表に出て来れないままの)ムスリム同胞団ムスリム・ブラザーズ)である。 彼らの組織された部隊が、若者たちが、ムバラク派の治安警察の残党部隊との、投石、ナイフでの乱闘戦に、現れて、若者たちを救援していた。そして、さっと姿を消していた。 ムスリム同胞団の 幹部たちは、たくさん刑務所に入れられたままだ。 彼らは、1928年の結党以来の、厳しく長い歴史を持っている。 簡単なことでは、負けない。

 ムスリム同胞団は、いわゆる イスラム原理主義ファンダメンタリズム)の政治団体である。私、副島隆彦は、欧米世界が、悪罵と中傷のコトバとして使い始めた イスラム原理主義と言う用語が嫌いであり、本当の 優れた アラブ・イスラム世界の 政治思想の存在を知っていてるが、それを、ここで、仕方なく世界中で使われる一般用語の イスラム原理主義としておく。

 それに対して、ナセルらは、シリアや イラクに出来た軍事政権と同じ、「バース党」 という、 アラブの社会主義者の政党なのである。若い頃のサダム・フセインも、カイロ(エジプト)のバース党に研修を受けに言っている。カシムというイラクの立派な指導者が、打ち倒されたあと、サダム・フセインは、自分が権力を握ると、次第に、アメリカの言うことを聞くようになってイラク国民を裏切り、そして「アラブの大義(cause 、コーズ)」を捨てた。 ところが、やっぱり、いくら、戦車やミサイルをアメリカから軍事援助されても、アメリカと対立するようになり、そして、終(つい)に、2003年からイラク戦争を起こされて、最後は、軍事裁判(トリービュナル) に掛けられて絞首刑にされた。アメリカ帝国は、自分たちを裏切って、反抗を始めた民族主導者に報復するために、公然の見せしめで、処刑する。

 イスラム原理主義の運動が、エジプトから、さらに、サウジアラビアに 転移し、広がり、サウジで民衆デモが、起きることが、このあとの数年以内の  中東世界の 一番大きな変化である。 今のイランのシーア派の 宗教的な 反米政権(アプマデネッジャド大統領とそれを動かすハメネイ師=アヤトラ=)は、余裕をもって今のエジプトの事態を見守っている。  

チュニジア、エジプトからサウジへ、イスラム革命の火が燃え広がること」 これが、アメリカのグローバリスト(地球支配主義者)たちと、イスラエルにとっての悪夢であり、最大にイヤなことである。

 このようにして、エジプト民衆の革命は、今、突如起きた ”2月12日軍事クーデター”によって、圧殺されようとしている。 このあと、ムスリム同胞団が、どのような 戦術、戦略に出るかにかかっている。
それでも、すでに死ぬことまで覚悟した、最も先鋭な若者たちは、立ち止まらないだろう。

 思い起こせば、 エジプト民衆の英雄、 ナセルの ”ナセル革命”も 歴史の審判にかければ、無残で惨めな、裏切られた革命だった。 ナセルら、エジプトの 「自由将校団」 という 青年将校たちが、1952年7月23日に、軍事クーデターを起こして権力を掌握した。(しかし、表面の大統領は、アブド・ナンナースイルという人物。この人物が失脚したあとナセル)  そして、ナセルらは、スエズ運河の国有化を宣言して、「外国勢力を一掃する」 として、国民の圧倒的な支持を得た。これに怒った イギリスとフランス政府は、共同で、落下傘部隊(パラトゥルーパー)を投下して、スエズ運河を管理した。

 しかし、「ソビエトが、エジプト・シリア を支援する」という、事態が起きて、これを、調停する形で、アメリカ が 顔を出した。 そして、英仏の部隊は、1954年10月から、みじめな撤退を始めた。

 すべては、アメリカ(ロックフェラー石油財閥)が、仕組んだ劇だった。 英仏のスエズ運河の通行権と中東(ミドルイースト、特にサウジ)の 石油権益を、これで、欧州ロスチャイルド家から、奪い取ったのである。 世界政治の表面の、その裏側で、本当の世界政治(金融と資源の奪い合い)が、起きていた。だから、英雄であるはずの ナセルは、よく泣いていた。「自分には本当の権力はないのだ(自分は、アメリカのあやつり人形 puppet だ 」と。

全く同じことは、イラン(ペルシャ)でも起きていた。1953年の8月3日に、 イランの民衆革命の中から生まれた、立派な人物のモサデク博士(首相)の政権は、軍事クーデターで一気に崩壊した。そして、アメリカが操(あやつ)る パーレビが国王(シャー)として帰国した (モハンマド・レザー・シャー・パーレビである)。

  ”モサデク革命” を 流産させられたイラン人は、もう二度とアメリカには騙(だま)されないと、学んだ。  この1953年のモサデク博士のイラン民族主義の国民革命も、ただちに 「 石油を国有化する宣言」 を出したことで打ち倒されたのである。 石油(油田)の国有化(ナショナライゼーション)とは、石油の利権を外国の勢力から自国民の財産として取り戻すことだ。 条約や、外国の企業との契約を破棄する通告をすることだ。 それが 革命だ。 

 だから今度の エジプトの軍最高評議会(軍事クーデター政権)は、だから、ただちに、「(これは革命ではないので)諸外国との 条約、とりわけ、イスラエルとの平和条約をこのまま守る」と宣言したのだ。

 イランで モサデク首相と争ったのは、イギリスのロスチャイルド財閥が支配する「アングロ・イラニアン石油会社」(これが、今の、BP ビー・ピー、ブリティッシュ・ペトロリアムである。去年、2010年にアメリカ沿岸=メキシコ湾での海底油田の掘削を、エクソンモービルと 米海軍に、わざと工事爆破事故を起こされて阻止されて大損した ) であった。

 アングロ・イラニアンは、石油の国有化宣言でイランで大打撃を受けて撤退した。 そして、そのあと、モサデクを追放するアメリカが背後から計画したとおりの、軍事クーデターを起こさせて、パーレビ国王 をあやつって、それで、ロックフェラー系の石油会社 (世界No2 の テキサコ=ソーカルカルテックス=今のシェブロンン )が、代わりに入り込んだ。

 だから、エジプトでも、ナセルのあとを継いだ、サダトが、軍人上がりで、対イスラエル戦争での英雄だ、とうことで、大統領になり、彼が、アメリカの言うことを聞かなくなったら、「過激派(原理主義者)の兵士による暗殺( 軍の閲兵式の際に、ひとりの兵士が、機関銃をもって、貴賓席に走り寄り、乱射して、サダトらを、まとめて暗殺した。これもよく出来た、公然の暗殺劇だ) 」を作った。そして、今の ムバラクに取り替えた。 これが、アラブ中東世界の、 アメリカのよる 支配 の 真実だ。

 私たち、日本国民も、眦I(まなじり)を決して、「もう、だまされない」と深く、決意しなければならないのである。私たちには、今、きわめて優れた 指導者 と 彼が育てて、彼を守る、200人の若い国会議員たちがいる。今の日本で、国民のために、 ”検察・裁判所(による)ファッシズム” からの攻撃に、よく耐えて、一番、厳しいところを闘っているのは、政治家(国会議員)たち だ。 私たち 国民も彼らを守るために、彼らの後に続いて、闘いを始めなければならない。 

 今回、エジプトで、巧妙な 軍事クーデター(2011年2月12日)が起きたが、それでも、エジプト民衆の 反撃は、これから、起きる。 このような情報は、世界の既成メディアからは、すぐには、発信されないだろう。ヨーロッパのしっかりしているジャーナリストたちでも、あんまり、それほどは頭が切れないから、まだ、今の急激な、事態に勘(かん)付いていないだろう。 

 アメリカの支配層(グリーバリスト)が握る世界の体制派のメディア(テレビ、新聞)は、エジプト民衆の闘いの様子を、あまり報道したがらない。日本も、その、アメリカに支配・管理・洗脳されたメディアの優等生の国である。 私たちは、世界情勢の最先端での、優れた情報を入手しながら、同時に、自分の頭でも考えなければならない。

一昨日、ひとりの老婆が、ポツンと言ったコトバに、私は胸を打たれた。

 「 日本も こんな国民イジメのヒドイ政治をやっていたら、今に、エジプトと同じ民衆暴動 が起きるよ。 小沢(一郎)さんは、あんなに、小鳥をやさしく飼って、いい人だよ。小沢さんは、嵌(は)められていのよ」  日本も 確実に、揺れ動く 世界の一部なのである。  

副島隆彦

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