鎮守の森のプロジェクト

「鎮守の森のプロジェクト」から2016年次報告書が届きました。
もともと「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」という名称だったのが、鎮守の森をつくるというコンセプトを全国規模で展開するため、7月から「鎮守の森のプロジェクト」という名称にかわったとか。


「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」については幣ブログでも何度かとりあげたことがありました。




4年前に設立された「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」は、厄介モノになってしまっている311のガレキを廃棄物として処分したり燃やしたりするのではなく、防潮堤を兼ねた里山の森にするプロジェクトです。青森県から福島県に至る全長300キロの太平洋岸に高さ10m〜15mの森の防潮堤をつくる。残土と被災地のガレキで造成するマウンドの上に、その地域本来のシイやタブノキやカシなどの照葉樹を植樹して里山にして「鎮守の森」を育成する壮大な計画である。



このプロジェクトは植物生態学者の宮脇昭さんが長年の研究と実践に基づいて発想した計画。

そして、陶芸家としても活躍されている細川護熙さんがこのプロジェクトの長なのです。


「鎮守の森」こそ日本人が太古の昔から培ってきたすぐれた適正技術ではないか。

まず、天然の防災林としてすぐれた機能を発揮します。

311で松の防災林はなぜ津波で流されたのか。針葉樹である松は津波に弱く、場所によっては被害が拡大した。だから根をしっかりと張る広葉樹をガレキ土塁に植えるのが、このプロジェクトの重要なポイント。広葉樹だから「雑木林」が出現する。微生物やキノコや昆虫や鳥類の楽園にもなる。

数百年、いや数千年単位のすぐれた生態系が出現する。

そしてなによりも、捨て場のないガレキ処理をめぐる様々な問題が解消する。


今回の年次報告書では、「大震災で証明された緑の壁の威力」という宮脇昭さんの、具体的事例を紹介した記事が興味深い。


大正12年の関東大震災のときに、墨田区の陸軍の施設跡地に4万人が逃げ込みましたが、火災旋風が発生して3万8000人の方が亡くなった。


一方、そこからわずか2キロにある三菱創業者の岩崎家の別邸(現在の江東区清澄庭園)に逃げ込んだ約2万人の方は全員助かった。



生死の境を分けたのは、岩崎家別邸の敷地を囲むように植えられていた常緑広葉樹(タブノキやシイ、カシ類)だった。常緑広葉樹が「緑の壁」となって、激しい火災から2万人の人々の命を守ったということらしい。


さらに、阪神淡路大震災のときにも、常緑広葉樹(アラカシ)の並木が延焼を食い止めた事例があります。





ところで、先日の糸魚川の大規模火災で、焼け残った一軒の住宅が話題になっています。

耐火性にすぐれた建材を使ったことや窓を二重にした丈夫な家だったという報道がありましたが、その「奇跡の家」の報道写真をよく見ると、家のすぐ隣にこんもりとした常緑樹のちっちゃな森のあることが分かります。風向や建材など、いろんな要因が考えられますが、おそらく、これがミニ「鎮守の森」として、防火に役立ったのではないでしょうか。








【参照】

●鎮守の森のプロジェクト公式サイト
http://morinoproject.com/about


この報告書↓の中のロバート・キャンベルさんのメッセージもすばらしい。
●2016年次報告書(pdfファイル)
file:///C:/Users/faber/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/M8E1F6UC/h28.pdf


●いのちを守る森の防潮堤をつくろう - 植物生態学者・宮脇昭氏の提言 -