マスコミと一部の科学者が結託してつくりだしたSTAP細胞バッシング事件を解明しようとする人々が増えている。彼らの多くは、笹井芳樹博士を死に追いやった最後の一押しがNHKスペシャル(7月27日放映)だったと考えている。弊ブログもそう思う。自殺であれ他殺であれ同じことです。
あまりにも悪意のある偏向報道。NHKが分子生物学会所属の一部の学者たちに、既に撤回された論文のあれこれを批判させて、故笹井氏の学者生命に終止符を打つような報道を行った。異なる意見や観点を一切排除した一方的な番組構成でした。
このNスぺに限って番組制作スタッフの名前(クレジット)を公表しなかったのも異常。批判の矛先をかわす意図がミエミエです。確信犯的報道だったことがわかります。
再生医学の世界的ホープでありノーベル賞級のたぐいまれな日本人科学者を死に追いやった、科学史上最悪の公共放送によるおぞましいリンチ事件(報道犯罪)だった、と後世の科学史家は語ることになるのでしょう。
この件に関してNHKが公式に謝罪するまで、追及と検証は続きます。そうでなければ亡くなられた笹井博士の魂は浮かばれません。
●STAPの悲劇を作った人たち(8) 主犯 NHK-4 常にコウモリ報道
http://takedanet.com/2014/09/stap8nhk4_7e56.htmlすでに示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つである。
1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。
2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。
3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。
4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。
5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。今回は4)を整理する。理研は論文を出し、特許を出し、記者会見をした当事者なのに、ネットで論文の欠陥を指摘されると自らの判断や責任を回避して(はしごを外して)、裏切り行為にでた。そして、調査委員会を開き(最初の調査委員長は同種の論文不正で退任)、理由を明示せずに著者の一人(小保方さん)だけを「不正行為をした」と認定した。
これに対してNHKは理研の手続きや判断の不正を問題にせず、「小保方さんの不正が確定した」と報じた。そしてさらに問題の論文が取り下げられたので、「論文を出した4人の著者の責任」はなくなった。もし、この問題をきっかけに「日本の科学技術のあり方」とか「理研の闇」を追求するとしたら、それは小保方さんやその論文の不備を指摘したり報道したりすることではなく、政府の研究費配分のあり方、文科省などの「盗用、剽窃、悪意」などの規則の非合法性、税金を使った研究の成果としての論文などの所有権の問題などに進むべきである。
さらにもし個人的な問題があるとしたら、若山氏(正規の研究員で上司)と小保方さん(無給研究員で部下)が共同執筆者で投稿したSTAP論文が若山氏がサイエンスなどの雑誌に出し、ネイチャー論文が問題になるとまるで他人の論文のように批判側に回ったのかなどの謎に迫るなら、まだ意味があった。
しかし、7月末のNHKの笹井さん、小保方さんのリンチ番組に至るまで、NHKは「正義がどちらにあるか」ではなく、日本社会の誤解を拡大する方向の報道姿勢をとり続けた。これは朝日新聞が戦前は「軍部礼賛、アメリカ敵視」記事から、戦後は「平和主義、親アメリカ路線」に切り替えたのと同じだ。しかし、朝日新聞は商業的に売れれば良いという新聞であり、商売だから若干の理由があるが、NHKは営利団体でない、誤解を拡大して視聴率を取る必要はない。むしろ、商業放送とは違うスタンスをとることができるから国民から受信料をとっているのである。
いずれにしても、「論文を取り下げろ」というからとりさげて「何もなくなった」と言いながら、さらに取り下げた論文の著者のうち、特定の個人だけを狙った報道はいかにも悪質だった。人間が悔しく、かつ反撃の意欲を失うのは、不当なバッシングがある時だ。正当なバッシングでしかも反論のチャンスが与えられれば人間は反論し、正常な精神状態にいることができるが、不当なバッシングと反論の機会を与えないというのは、まさに芥川龍之介が書いたように「ピストルの代わりにペンを持ち、娯楽の快感を味わってリンチをした」と言えるだろう。(平成26年9月2日)
●STAPの悲劇を作った人たち(9) 主犯 NHK-5 個人をリンチした公共放送
http://takedanet.com/2014/09/stap9nhk5_3ed0.html
2014年7月末に放送されたNHKのSTAP事件の特集番組はその内容もともかくながら、1)小保方さんを取材で怪我をさせた、2)私的なメールを男女関係を匂わせる映像で流した、という二つの「公序良俗」に反することをしたことに絞りたい。
NHKが7月末の番組制作にあたって最後の取材をしていた7月中旬、笹井さんは記者会見でチェックが甘かったことを認め、小保方さんはSTAP細胞の再現実験に取り掛かろうとしていた。すでに問題となったSTAP論文が取り下げられ、NHKの言うところでは「論文が不適切だった」という点では何の問題もなくなった。次は、理研の不正な委員会で小保方さんが不正とされた処分をどうするかという理研内部の問題と、STAPの再現実験にある程度の意味はあったが、すでにSTAP事件についてはケリがつき、NHKが放送するようなことはなかった。
この時点で相変わらず、小保方さんを追求していたのは、三流週刊誌は別にして、毎日新聞、分子生物学会ぐらいなもので、もしこれ以上の追求をするなら「理研はなぜあれほどの大々的な記者会見をしたのか」とか、「科技庁と理研の癒着問題」などであった。
ところが、NHKは「国民の知る権利」という名目で、小保方さんが実験のために研究室に行く途中を襲ってホテルの中を追い回し、カメラマンが逃げ惑う小保方さんをエスカレーターかエレベーターに追い詰め、2週間の怪我をさせた。この怪我について、多くの新聞が「軽微な怪我」という表現をした。仮にマスコミ以外の一般人が第三者を追い詰めて怪我をさせたら、マスコミはかなり厳しくバッシングしたと考えられる。なぜ、マスコミが「軽微な怪我」としたのか、それはマスコミ同士のかばい合いと、小保方憎しの感情にほかならない。
さらに逃げ惑う小保方さんを女子トイレまで追い詰め、NHKの女子社員がトイレの中まで入って閉じ込めるに至った。現代の日本で犯罪人でもない一人の若い女性をこのように取り扱うのは「重罪」であり、「公序良俗に反する」と言える。
日本は法治国家であって、「NHK暴君支配国家」ではない。NHKは一般人を追い詰め、トイレに閉じ込め、怪我をさせる権利はない。
さらに番組では、笹井さんと小保方さんの私信(メール)を公開した。それも本人ではない人がナレーションをつけて読み上げた。実に醜い番組だった。メールというのは手紙と同様に「私信」である。犯罪捜査や裁判では証拠として採用されることもあるだろうが、それ以外はメールを暴くことは許されることではない。
もし、普通の人(たとえば私)のメールが何か起こったら直ちにNHKが公開するというのでは到底、安寧な人生を送ることができない。普通、男女間ではある程度の男女の関係を類推できるようなメールがありうる。たとえば男女になんの関係もなくても、社交辞令として「この前の食事は楽しかった。またご一緒に」などというメールもありうる。
しかし、そのようなメールをナレーションつきで怪しげな放送をしたら、多くの人は誤解するだろう。それではたまらない。幸い、笹井さんと小保方さんの間のメールは実に真面目なもので、本当によかった。この日本が憲兵国家、しかもそれがNHKという公共放送を通じて流れるようになったかと思うと、このことに反撃するマスコミ関係者や学者が少ないことに驚く。法治国家においては「良い悪い」を任意の団体が決めて、その力でするのはリンチというもので、それは「娯楽」に基づいて行われる野蛮な行為である。このことだけでもNHKは公共放送としての資格はない。際限なく続く理不尽なバッシング、それも公共放送としてのNHKの私的リンチに耐えられず、笹井さんは命を落とした。実に無念だっただろう。笹井さんはなにも悪意はなかった。若山氏の依頼を受けて若山氏の論文を書き直してネイチャーに掲載させるように努力しただけだ。
その人を死に追い込むまで、不当なバッシングを続け、けがを負わせ、私信を公開し、苦しい研究をしたことがない評論家を集めて、当人たちを出席させないまま、すでに取り下げた論文の批判を行うなど、今後の日本の科学を考えるとゾッとすることをNHKがやった。笹井さんの死の責任をとり、NHKが何らかの措置をすることを望む。今回のSTAP事件はテレビと新聞が(裁判などではなく)、一個人を追い詰めて自殺するまでやめないということが起こることを実証した。日本のマスコミがこのような暴力、リンチをするようになった現状は日本の正しい発展に間違いなく障害になる。
マスコミ・リンチ殺人というべきであり、鳥インフルエンザの浅田夫妻に続く大きな不祥事である。隠すことなく、この問題に関する全てのこれまでの取材記録などをネットで公開し、批判を受けるのが望ましい。
(平成26年9月12日)