ブラックマスコミと災害報道

「ブラックマスコミ」という画期的な概念を提示されたryuubufanさんは沖縄在住の方だったのですね。

沖縄には台風8号の避難勧告が出ているようです。ryuubufanさんのご自宅は停電だそうです。停電の中での以下の記事:

http://blogs.yahoo.co.jp/ryuubufan/archive/2014/7/8
今丁度沖縄は台風で、私がいる所は停電になっている。パソコンは使えないが、iPadでこれを書いているところである。今回の台風には特別警報というのが出た。命を守る行動をして下さいという警報である。最近の台風は強力になって災害予防の点から国民に注意を喚起するのは理屈だが、果たしてそれだけであろうか。地震もマスコミが妙に大仰に騒いでいる印象がある。

今のところ台風は特別ではない。沖縄で避難勧告というのはあまり記憶がないが、新たに出てきた特別警報に合わせるように本島の広範囲に避難勧告が出ている。どこぞの公民館に避難を勧めている訳である。多分誰もこの風雨の中を行く人はいまいが。避難の方が危険である。避難勧告警報を出した方がいいかも知れない。台風常習地帯の沖縄が避難しているようでは話にならない。特別警報というのが出てきた一つの副作用が避難勧告であろう。地域によっては正しい勧告となる事もあろう。台風に関しては、沖縄にとっては無意味な特別警報と避難勧告であると言って構わない。

最近の台風や大雨については、過去に経験した事のないというような表現が出てくるようになった。妙に人心の不安を煽るような表現である。マスコミにとって災害というものは、自らの社会的使命を果たす絶好機という事実がある。国家国民には災害は不幸だが、マスコミには好機なのである。消防署にとって火事現場が仕事現場であるように。災害で興奮するマスコミという一面は事実である。

政権にとっても同じような部分がある。災害時の緊急対処能力があるかどうかは、政権の支持率に大きく影響する。災害が発生すると政府関係者もヘルメットを被って出動する。そこをマスコミが国民に伝える。災害というものはマスコミにとっては劇場となる。政府、役人はこの劇場で立ち回る。その間は国民の目は災害に釘付けである。ブラック政権にとって災害は国民の目を逸らす意味で重要である。国民が災害予報で不安感を高めてくれれば、他の事に意識が向かなくなる。今丁度集団的自衛権問題で、安倍政権に国民の批判が高まっている状況がある。週末に予定されていた集会やデモが台風でお流れになれば、これ幸いである。災害報道が熱を帯びれば帯びるほど、国民意識は大きく集団的自衛権問題から逸れて行く。

災害は国家の緊急事態であり、政権にとってはむしろ好ましい。通常とは異なる原理が作動する。究極の緊急事態が戦争である。戦争国家に猛進する安倍政権にとって、災害という緊急事態は歓迎である。だから、人工の緊急事態もあり得る。今や地震台風大雨干ばつの災害は人工的に作る事ができる。日本自身がせずとも宗主国がやってくれる。今回の台風も規模といい、コースといい、実においしい災害という面がある。人工を否定する根拠もない。

災害に関して、ブラック政権とマスコミは利害が一致している。災害報道を大仰に煽る事は非常に大きな政治的効果がある。集団的自衛権への国民の批判は災害報道でかき消される。災害報道はブラック政権を利するのである。

特別警報という新たな警報が出てきた事で、沖縄本島でも多くの所で避難勧告が出た。避難勧告を出して人心が乱れる事は、ブラック政権にとってはいい事である。これからこの手の勧告が頻発する国になるだろう。危険だ危険だ、避難してくださーいと言うのが普通の光景になると、社会の落ち着き感は減じ、公権力の手綱はピンと張る事になる。

災害はブラック政権を利する。ブラックマスコミは災害報道を煽る。こんなにいいものなら、災害は作り出してもいいという事になる。人工災害は宗主国に任せて、傀儡国は災害報道に努めるという役割分担があるだろう。この前まではこんな事考えもしなかった。無知だったという事に過ぎない。マスコミの影響は巨大で、国民はいいように踊らされている。マスコミの本質を解明する事は、現代民主主義国家に生きる者の務めである。マスコミが民主主義の首根っこに縄を掛けているのが実態である。国民はこの縄を切り離さなけれなならない。マスコミに関するあらゆる問題に注意を払わなくてはならない。