TPP=陸に上がったどアホな元海賊の末裔どもによる稚拙で病的な悪巧み


この写真↑は「カリブの海賊の背後にエリート貴族の陰」より
http://quasimoto.exblog.jp/14889589/



TPPとは、陸に上がったどアホな元海賊の末裔どもによる稚拙で病的な悪巧みなので御座います。

ひょっとこ親父様の超世界史的TPP観。

痛快で笑いと涙を誘う名文。


2013年03月24日NEW !
テーマ:どアホな海賊・盗賊の末裔どもよ(英国発)
「TPPは狩猟民族にも農耕民族にも書けず海賊上がりのバビロンだから書けたが極度のなりすましの果ての病的文章である」

悪魔教の意味が分かったが、「陸に上がった河童である米英バビロン」には陸で生まれた宗教は肌に合わず、「海賊のルーティンワーク」をヘンテコな衣装や生け贄などで表現して、束の間の自分を取り戻す時間だった訳である。


「海の上での泥棒」はアニメや映画のように最悪の場合は「大砲で商船を沈める」場合もあるだろうが、連中の立場に立てば「積み荷や財宝を海水でパーにせずにそっくり船ごと奪う」のがベストだった筈である。


そうなると、陸だったら殴ったり斬ったりしても「今日のところはこのへんで勘弁したるわ」とか「明日もあるし評判も気にする」だろうから、自ずと「限界」があるが、海の上は「一期一会」であり、「手加減という事ができず」「勢い皆殺し」となるし、商船も用心棒がいただろうから「やるかやられるか」で、海に突き落とすのが便利な戦法だった筈で、操縦要員として人質を一部残したりもしただろうが、港についてから売り捌く事を考えると「船長そっくりさん」とか化ける必要があり、陸で発展した影武者以上に必要なスキルだった訳である。


しかし、「元々育ちの悪い海賊」が「エリートサラリーマンを演じる」のは難しくはないだろうが、「ストレス」がたまった筈で、「何代なりすましを重ねても陸のエリートや王族や教祖を演じるのは苦痛だった」筈で、「SM」や「赤ちゃんごっこ」や「女装」に「インテリ」が走るのと同じで、「本来の姿に戻って息抜き」をしていた訳である。


「訳のわからない儀式」の時も心の中で「おら女王になっちまっただよー」「俺っちも法王やってるだー」「とうちゃんかあちゃんちゃんと見てるっぺ」とか思いながら、生け贄を殺しながらご先祖様はこんな感じで相手を殺して財宝を奪ったりして「おら達がいい生活できるんだべなあ、そうだべなんだんだ」とか海の田舎っぺ丸出しで、先祖の時代を懐かしみがてら「新人歓迎会」をやっていたという訳で、その「異様さ」に発狂した陸の元エリートが「ホモ」とかレズに走ってよく分からないが、心のバランスをとっているという訳で「キモ」い世界である。


そんな連中も「パソコン時代」になって、ますます「海賊時代の豪快な略奪のリアリティーが無くなり」「相手の悔しがる顔」や「相手を海に投げ飛ばす快感」から離れてしまい、デリバティブをやっても楽しくないし、信者が勝手に振り込んでくる「宗教詐欺」をやっても「ぶん取る快感が足りなく」て「苦痛」になり、「戦争詐欺」は気が紛れたが、だんだんやりにくくなって先祖代々の「なりすまし」にも疲れて、とうとう「TPPという世にも奇妙な支離滅裂な文章」を世に問う羽目になってしまった訳だが、おふくろの味というか、おっかあのおっぱいを求めるような幼児的な内容である。


これは農耕民族のワルでも、狩猟民族のワルでも、到底連中の代理人として押し通すのは無理で、参加国の国民は「揃いも揃って反対」なのは当然としても、連中のパシリも海賊魂は持ち合わせていないから、台本とセリフを用意されても最後まで演じきるのは無理で、安倍もだいぶ腹痛がひどいようだが、国会で中継中に「おもらし」をするという大ハプニングを起こして「終わり」になる筈である。


それぐらい陸の民族にとっては理解不能な条文で脅されようが買収されようがパシリには荷が重すぎるのである。


ましてやバビロン自体が「物真似芸人の舞台みたいな生活を24時間年中無休でいる中」で、キャンディーズみたいに「私達普通の海賊に戻りたいんです、ごめんなさい」みたいな興奮状態で書き上げた文章だから、連中も正気に戻ったら我ながら「トンデモ」な文章を作ったものだと心の中で思っているから、陸じゃ通用しないかもとか、馬鹿にされるかもとか嫌われるかもとか、素性がばれるかもとか、オドオドしながら自信なく進めているから「二重に難しい」のである。


いっそ安倍とかが「できましぇーん」とか言ってくれれば気が楽になるが、「大変素晴らしい文章で感服致しました」とかおべんちゃらを言うものだから「余計」に辛くなる訳である。


そういう訳で、我々が調べて笑って、また調べて笑ってを繰り返せば「連中が自爆」する筈である。


「なりすましの最期の悪あがき」という事である。


「立たないーでーもうそれで十分だーおお神よ馬鹿を救いたーまーえー」という感じである。  

ポスト米英時代
2013/3/23