一昨日の早朝に聴いたNHKラジオ深夜便の若竹千佐子さんの話に感動した。
以下、メモ。
若竹千佐子さんは、岩手県遠野市生まれ(1954年)。今年64歳になる。
55歳のときに、ご主人を脳梗塞で亡くす。あっけない突然の喪失で落ち込んでいたとき、息子さんに勧められるまま小説講座に通い始める。8年間通って小説を基礎から勉強。
この小説講座の先生は、文芸誌「海燕(かいえん)」元編集長・根本昌夫さん(65)だった。根本昌夫さんは、嘗て若手時代の吉本ばななさんや島田雅彦さんを担当した。
根本先生のモットーは、「小説は哲学である」。
若竹さんは、「根本さんからは、小説は知的なたくらみのある構造物であるということを教わった」と語る。
8年後のデビュー作が、今年1月の芥川賞受賞作『おらおらでひとりいぐも』。
この小説の主人公は、夫に先立たれ、都市近郊の新興住宅で一人暮らしをしている74歳の「桃子さん」。
桃子さんの脳内対話がつづく。
あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇ、
この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ
物語は、東北弁と標準語が混合し響きあいながら力強く進行していく。
老境に至った人間の自由の境地がテーマ。
そうなんです。人生でいろんな経験をして、自分の肌で感じてわかってきたことだから大胆に言える面はあると思います。おばあさんって、捨て身になれるんですよ。社会や家庭に対する役割を外れて、世の中から何かを期待されることもなくなってくる、そうすると制約なんてなく吹っ切れた感じになれます。
私は私に従えばいいんだ、私の考えで人生観や哲学を語ればいいんだとはっきり自覚できる年代に、桃子さんは足を踏み入れているわけです。
老境になって得られる、孤独ではあるけれど自由な感覚。そのあたりを私は小説にしていきたい。
今は子供達は大きくなって夫も亡くなって、私をこの世に引きとめるものは客観的にはなにもなくて、でも私が生きてゆくとしたらそれは何なんだろうと思うと、この世にはもう用済みだけれども、私の自由意思で自己決定権を持って考えたことを行為する、その喜びを継続することが私のこれからなんだろうと、自由だと言うのが一番ですね。
子育てが終われば、社会的には「用済み」。
しかし、「用済み」であることをしっかりと前向きに自覚することによって、そこに新たな全き自由の世界が広がっているのだ。
老境における自由の問題を、小説という手段によって明るく切り開きつつある、貴重な作家である。
●「著者と語る」若竹千佐子・芥川賞作家 『おらおらでひとりいぐも』
以下はラジオ深夜便の「明日への言葉」を記録し続けておられる方のサイト記事。参考にさせていただきました(深謝)。
●若竹千佐子(作家)・63歳、デビュー作で“芥川賞”
https://asuhenokotoba.blogspot.jp/2018/05/blog-post_11.html