笹井芳樹博士変死事件が、マスメディアとメディアに寄生する歪(いびつ)な「自称」科学者や「自称」科学ジャーナリストたちによって醸成されたものであることが徐々に明らかになってきた。
でも、メディアは既に過ぎ去った事件であるかのように(他人事であるかのように)沈黙。ダンマリを決め込んでいる。
しかし、そうは問屋がおろさない。笹井博士と同じ研究分野の学者たちが声をあげ始めている。
たとえばシカゴ大学の中村祐輔教授である。中村氏は大腸癌抑制遺伝子APCを発見したことで有名。
中村 祐輔(なかむら ゆうすけ、1952年12月8日 - )は日本の医学者。専門は遺伝学、分子生物学。東京大学医科学研究所教授を経て、シカゴ大学医学部血液・腫瘍内科教授。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%A5%90%E8%BC%94
中村祐輔教授も以前、「偏向した考えのA新聞社」(←朝日新聞社のこと)に虐められて自殺を考えたことがあったらしい。笹井博士の今回の事態もある程度予測していたらしい。経験者は語る、である。
以下の抗議の叫びには激しく同意します。
「笹井先生が追い詰められていたようだ」とよく他人事のように記事にできるものだ。誰が追い詰めていたのか?これでもか、これでもかと、痛めつけていたのは誰なのだ!!長時間、さらし者のようにされれば、追い詰められて当たり前だ。今さら、美辞麗句を並べて、亡くなった人間が生き返るのか!
以下、「中村祐輔のシカゴ便り」の最近の記事(2件)を転載させていただきます。
http://yusukenakamura.hatenablog.com/entry/2014/08/06/105539
●STAP細胞の悲劇
STAP細胞事件は、とうとう、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長の自殺という最悪の悲劇に発展した。私も築地にある偏向した考えのA新聞社にいじめられて、自殺が頭をよぎった経験があるので、今回の事態は私にとって全く予期できなかった事態ではない。
本来は科学的に検証すべきものが、最初に華々しく打ち上げすぎた反動や小保方晴子氏の頑として非を認めない姿勢によって、完全にワイドショー化されしまった。その結果、副センター長として、責任著者として、メディア(私には、報道という名に値しない、低俗なゴシップ屋としか思えないが)の矛先が向かっていただけに、その重圧に耐えられなかったのではないだろうか。
笹井氏は、私のような雑草ではなく、京都大学医学部を卒業したエリート中のエリートとして育ってきた。36歳で京都大学の教授となり、再生医療の分野をけん引してきた。笹井氏とは個人的な交流は全くなかったが、文部科学省の委員会などで同席する機会が多かった。科学的見識が広く、ズバズバと正論を吐くタイプで、常にオピニオンリーダーとして委員会をリードされてきた印象が強く残っている。
私は精神的には強い方だが、新聞で叩かれた時には、途方に暮れるしかなかった。私に批判の目が向くように巧みに仕掛けられた悪意に満ちた記事に目の前が真っ暗になったことが、今でも深い心の傷として残っている。私の場合、幸いにも患者の会や仲間の支援があったし、他のメディアも某新聞社の悪意を感じ取り、後追い記事やニュースを流さなかったことで、死の淵から蘇った。
超エリートの笹井氏に向けられた悪口は彼の20年にわたる業績をすべて帳消し、マイナスにするだけの破壊力があった。今回の事件の責任は決して軽いものではないが、個人を死に追い込むような報道の在り方は、社会全体によるパワハラのように考えられてならない。
私は以前から指摘してきたが、今回の問題に対する理化学研究所の対応のまずさが、ボヤで消火できていた火事を、簡単に消すことのできない山火事のような事態にしてしまった最大の要因であると考える。もし、対応が早く的確であれば、日本の財産をここまで追い詰めるような状況にはならなかったのではなかろうか?また、この事態を受けて、メディアを含め多くの有識者と称する人たちは、「死ぬことまで考える必要はなかったのに」「惜しい人材をなくした」「これで再生医療に支障が出る」など、笹井氏に際する個人攻撃は止むであろう。
私は笹井氏のようなエリートではないが、根も葉もない批判を少なからず受け続けてきただけに、笹井氏の心境が全く理解できないことはない。「溺れた犬に石を投げつける」と言っても過言ではない、新聞や雑誌を売るための、視聴率を稼ぐための報道姿勢、そして、嫉妬を悪意に変換した学会などの過度ともいえる個人攻撃姿勢が改まらない限り、また、悲劇は繰り返されることになるだろう。研究者は、ある日突然、自分が悲劇の主人公になるかもしれない。
笹井芳樹先生の冥福を心からお祈りしたい。
●(続)STAP細胞の悲劇;愚かなメディアと研究者集団
ネットニュースに流れる「ノーベル賞候補だ」「山中先生に劣らない」という文言を目にして憤りが増してきた。一人の研究者が自分の命を犠牲にしなければ、再評価されないのだろうか。一つの汚点が、その個人の長年にわたる業績が帳消しにしてしまうのか?
「笹井先生が追い詰められていたようだ」とよく他人事のように記事にできるものだ。誰が追い詰めていたのか?これでもか、これでもかと、痛めつけていたのは誰なのだ!!長時間、さらし者のようにされれば、追い詰められて当たり前だ。今さら、美辞麗句を並べて、亡くなった人間が生き返るのか!
それにしても、この問題が「なんとかスペシャル」で特集を組むような問題なのだろうか。笹井先生ほどの研究者なら、再現性のない論文を報告すれば、後にそれによって失うものが如何に大きいかくらい十分に認識できるはずだ。自分が積み上げてきたものを、すべて失うリスクを冒してまで、詐欺のような行為をするはずがない。そこから考えれば、誰が問題の元凶なのか、議論する必要がないほど明白ではないのか。
最初に派手に花火を打ち上げすぎたことやデータを確認していなかった管理責任を問われても致し方ない。それが、命をもって償わないといけないほど大きな過失なのか。だれが考えても最大の責任の所在が明らかな事柄なのに、いつまでも処分を打ち出せずに、精神的に苦しめ続けた理化学研究所の執行部の責任は免れない。
また、「日本の科学の信頼性を揺るがす大問題だ」と大騒ぎをした研究者集団があったが、ここまでくると、結果的に魔女狩りのような行動だと非難されても反論の余地はない。これまで日本の科学の発展に貢献してきた研究者を死に追いつめたことは、科学の問題を超え、日本人のそのものの品性を問われることにならないのか? 過ぎたるは及ばずで、「魔女狩り」的行為が有能な研究者を自殺に追い詰めることに加担したことが、日本という国の誇りをもっと大きく傷つけたという事実は消せない。
何か事があるたびに、集中砲火を浴びせるように個人攻撃が続き、その人間が命を絶つときれいごとを並べて、何事もなかったかのように終わらせるメディア。自分たちの不健全な姿を振り返ることは永遠にないのか!国営放送よ、この事態を検証するスペシャル番組を作成すべきではないのか!?