[音楽]96歳のチェリスト・青木十良(じゅうろう)

早朝のラジオでチェリスト・青木十良(じゅうろう)さんの話を聞いた。96歳でまだ現役。素朴な語りとチェロの音色にジーンとくるものがある。歳のせいかすぐにうるっとしてしまう今日この頃。

歳を重ね
涙腺ゆるむ
師走かな


青木さんは、「楽器が自分に対して厳しい注文をつけてくる」という言い方をする。おもしろい表現だ。チェロを生きもののように感じている。

そして、これまでのチェロ人生を振り返り、「わたしの人生は一瞬だった」と語る。


青木さんの人生観:

「人生50代、60代は勉強の時期、そして、70代で花が咲き、80代は悠々とその流れに乗って道を歩み、ようやく90代になって、その道を極めることができる」

ということは、我々はまだまだ「勉強の時期」ってことか・・・


ところで、ぼくが好きだった(今でも好き)科学史家・村上陽一郎さんはチェリストとしても有名ですが、青木十良門下生だったらしい。(村上先生の「技術とは何か」は隠れた名著)


青木十良さんの記録映画のダイジェストを見つけた。

●cellist JURO trailer
http://www.youtube.com/watch?v=74ktucn6NcY&feature=related

おまけ:ヨーヨーマのバッハ。
Yo-Yo Ma plays the prelude from Bach´s Cello Suite No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=dZn_VBgkPNY&NR=1&feature=fvwp

【参照】
2011年11月20日 (日)の再放送
ラジオ深夜便
明日へのことば「人生の実りの秋にチェロを弾く」
ゲスト:青木十良(じゅうろう)さん(チェリスト
 青木十良(じゅうろう)さんは、96歳にして、現役のチェリストです。
 貿易商の資産家の家で育った青木さんは、15歳のとき、自宅に出入りしていたドイツ人から、チェロの手ほどきを受けました。その後、軍事教練に反発し、開成中学を中退した青木さんは、専門にチェロを学んだことがなかったにもかかわらず、めきめきと頭角を現し、戦時中の昭和20年にNHKのオーディションを受け、最難関のソリストの審査に合格しました。そして、NHKの嘱託となり、東京放送管弦楽団に入りました。
 その後、悠々自適な音楽人生を歩んできた青木さんは、87歳のとき、バッハの無伴奏チェロソナタ第6番をCDで発売し、話題を呼びました。その後、91歳で第5番、96歳で第4番を発売しました。
 青木さんの人生観は、「人生50代、60代は勉強の時期、そして、70代で花が咲き、80代は悠々とその流れに乗って道を歩み、ようやく90代になって、その道を極めることができる」と説いています。
 晩秋も深まり、チェロの音色が最もふさわしいこの時期に、チェロの達人・青木十良さんの達観した人生論を伺います。


●96歳チェリスト、大輪の音色 青木十良、伝記と新譜
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201108240130.html

96歳の現役チェリスト、青木十良(じゅうろう)の歩みを振り返る伝記「チェリスト、青木十良」(大原哲夫著、飛鳥新社)と新譜CD「バッハ 無伴奏チェロ組曲第4番」(N&F)が同時に出た。商業主義から一線を画し、自らの心と対話しながら音楽を掘り下げてきた、その虚心の歩みを文字と音が立体的に活写する。
 一つひとつの音やリズムを豊かに呼吸するかのような演奏は、チェリストで指揮者の故斎藤秀雄も魅了。桐朋学園で指導にあたったが、音楽が世事に巻き込まれてゆく時代の空気に違和感を感じ、一線を退いた。
 伝記は、青木が時代に翻弄(ほんろう)されながら、音楽への献身を深めてゆく過程を対話形式でつづる。父の仕事が貿易商だったこともあり、自宅にたまたま名チェリストのクレンゲルの弟子が出入りしていた。手ほどきを受けた日、自らの身体と一緒になって響く、深々とした音色のとりこになった。
 反骨精神たっぷりの少年は、科学と音楽という合理性の世界に希望を見いだしてゆく。米国留学して核物理学者になる夢は開戦で断たれたが、残された音楽という夢は手放さなかった。そうしていま、バッハに向き合いながら、大輪の花を咲かせようとしている。
 「この年になって、ようやくバッハがほぐれてきた」と語る。バッハの力学的な構成やリズムは自然の写し絵。細部にこそ神が宿る、とも。
 無伴奏チェロ組曲は全6曲。87歳の時に第6番を出して以来、さかのぼって全曲録音を目指している。
 「弾けるうちに、難しい方から弾いていかないとね。思考が深まって自らへの要求がどんどん高くなってゆくのに、手は動かなくなってゆくばかり。音楽をするのは、私にとっては喜びであると同時に、生涯の闘いなのかもしれません」
吉田純子