92歳の天才ピアニスト、ルース・スレンチェンスカRuth Slenczynska


NHKのニュースでレポートされていた92歳のピアニストの話にちょっと感動したので、メモしておきます。


齢92、身長150cmの華奢な体で超人的な演奏を行うピアニストが今夏、岡山でコンサートを開いた。アメリカ人ピアニスト、ルース・スレンチェンスカさん。あのラフマニノフにも師事し、『ニューヨーク・タイムズ』ではモーツァルト以来の神童として紹介されたこともある世界的至宝だ。身体の衰えをものともせず命を振り絞って、遠路来日したルースさん。伝説の老ピアニスト渾身のコンサートと彼女の歩みを特集する。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=402&date=2017-10-20&ch=21&eid=58383&f=2936


これ↓は昨年の夏、岡山の小学校で演奏会をしたときのニュース映像(朝日新聞)。
●92歳の米国人ピアニスト ルース・スレンチェンスカさんが小学校で演奏 岡山・真庭市




ルース・スレンチェンスカRuth Slenczynska)さんは、カリフォルニア州サクラメント1925年(大正14年)生まれ。現在92歳。


Wikipediaの情報によると、幼少期に父親のヴァイオリニスト、ヨゼフ・スレンチンスキから音楽の手ほどきを受け、なんと4歳でステージ・デビューを果たしたそうだ。5歳でカーティス音楽院に入学し、6歳でベルリン、8歳でニューヨーク、11歳でパリ等、各都市でコンサートを開いて成功を収めた。

神童だったのですね。


彼女にピアノを教えた教師は、ヨゼフ・ホフマン、セルゲイ・ラフマニノフ、アルトゥル・シュナーベル、エゴン・ペトリ、ヴィルヘルム・バックハウス、アルフレッド・コルトー等が数えられる。いずれも当時の巨匠たちばかり。

ラフマニノフからも教わっていたのですね。


14歳から一旦音楽活動から遠ざかり、19歳のとき大学で心理学を学んだが、26歳のときに指揮者のアーサー・フィードラーに請われてピアニストとして復帰。


しかし、75歳の時に最愛の夫が亡くなってから3年間ピアノをまったく弾かない時期があった。



77歳の時、台湾人の教え子が台北の大学教授に招聘してから鍵盤に復帰。



2003年に初来日したのちもたびたび来日し、特に岡山との縁が深いことは、後記する三船文彰氏の記事に詳しい。





これ↓は昨年の中国でも演奏会の模様。ブラームスの間奏曲(作品118)か?
一音一音がしっかりと弾きこまれて力強い。91歳とは思えない。

Ruth Slenczynska




NHKの番組で紹介されていたルースさんの言葉がとても印象深い。

「老いてから成長するものがある」

「老いるほど美しくなっていくものがある」


ルースさんは、92歳の現在でも、毎日5時間の練習を欠かさない。



【参照】

●2004年夏 超人ピアニスト ルース・スレンチェンスカ79歳の熱い挑戦
‐あるユートピアの記録‐【前半】三船文彰
http://www.liu-mifune-art.jp/expvol2.htm

●超人ピアニスト ルース・スレンチェンスカ79歳の熱い挑戦
‐あるユートピアの記録‐【後半】
http://www.liu-mifune-art.jp/expvol3.htm

忘れてはいけないのは、ルース・スレンチェンスカは4歳からずっと現役のピアニストであったが、75歳の時に最愛の夫が亡くなってから3年間ピアノを弾かなかった、ということだ。77歳の時、台湾人の教え子が台北の大学の教授に招聘してから鍵盤に復帰し、そして、いまや75歳以前の状態を取り戻しただけでなく、さらに進化した境地に到達したことは驚くべきことである。

「ピアノを弾かなかった3年間の間に、私は多くのことを感じ、考え、そして多くのことを学んだ。再びピアノを弾いた時、音がまったく変わったのよ。」「正しく練習すれば、人間の筋肉は衰えないものです。昨年秋の演奏に私は満足していなかったから、ニューヨークに戻ってから、毎日の練習時間をさらに2時間増やして(つまり9〜10時間)備えてきたから、いまや私は別人よ!」とルース先生はいたずらっぽく続けた。