今朝5時台の生島ヒロシのTBSラジオを聞いていて心底うんざり。コメンテーターの某保険会社の市川某が、アメリカとの同盟関係が最も重要です・・・。カダフィがいなくなって民主的なリビアになります・・・
生島ヒロシもB層向けのコメントを繰り返すばかり。
早朝のこのラジオはある意味とてもおもしろい。日本の民衆がどのように情報洗脳されるのかをチェックできるから。
リビアのカダフィ大佐の暗殺は、正当な理由のないイラク攻撃とフセイン処刑にとてもよく似ている。背後関係が同じだということだろう。
カダフィ大佐が虐殺されたニュースについては、情報が錯綜していてよく分からないところがあるが、もし本人が本当に殺されたとすると、中東でなにかの動きが始まったということだろうか。
最近注目している「311と世界情報研究」というブログが興味深い。
http://blogs.yahoo.co.jp/petio1965
(このブログでは、65年前の米軍の人工津波兵器開発の公式文書「プロジェクト・シール」の翻訳をされているので後日紹介したいと思っています。)
今日の「中東アフリカ事情:カダフィ氏の死亡、アメリカこそ独裁者」を転載させていただきます。
リビアのカダフィ氏が殺されたそうです。ほんとうだとすれば、私は彼に哀悼の意をささげます。苦しいなか、よくさいごまでアメリカと戦いました。さぞつらかったでしょう。
世界中の西側マスコミが彼を、独裁者だの、虐殺者だの、極悪人だのとよんで徹底的にいじめてきましたが、彼の顔をみれば、わたしには、彼がいわれているほどの極悪人でないことはわかります。
ほんとうの極悪人はアメリカです。すべては計算どおりの作戦です。
負傷して血まみれになっている「カダフィ氏」のビデオをみると、どうも本人にみえ、ほんとうに殺されたらしいように思えますが、たとえそうだとしたも、この状況設定は計画的なものであるように思える。
- アメリカはさいしょ少しだけ空爆を手伝い、そのあとはヨーロッパ単独のNATO軍支援で戦いを延々と長引かせて(しかし諜報活動だけはしっかりやって)そうとうカダフィ軍にも、反カダフィ軍にも、リビアの人々にも、その資産も破壊した(徹底破壊しなければ、そのあとの再建でもうけることができない)あと、反乱軍がほぼ全土を掌握し、
- ヒラリー・クリントンがリビアを電撃訪問、なにかの利権話を要求したあと、アフガニスタンにむけて去っていった(このへんは311地震→原発「事故」のあと、すぐに日本にやってきてなにがしかの秘密話をヒラリーはやっていったのを思い出してください)。
- そのあと、とつじょとして、「カダフィ氏」死亡報道、しかしちょっと「本人であるという」血まみれ人物のビデオを流しただけで、あとはどこに埋葬したかもいわず、「DNA鑑定」をするとかいう。
アメリカはそのとくいの情報収集能力で、はじめからカダフィ氏の居場所をつかんでいて、タイミングをみはからって、国民評議会兵士(と称するアメリカの工作者である可能性も)に殺させたのではないか。でなければ、このビデオの出演者全員が役者であって、世界をまたしてもだまくらかしていないか?
- ヒラリーは、アフガニスタンで「カダフィ死亡を知った」。そして、「ビンラディン殺害」のときと、まったくおなじに、あのアメリカのこしぎんちゃくの国連事務総長パンギムンがへたな英語で「独裁者は死亡した、おめででとう」だと(もういちど強調しますが、この「おめでとう」はビンラディンのときとまったく同じで、パンギムンは間髪いれずに発表しました。国連事務総長が、よその国の指導者がいくら独裁者だからといって、裁判もやらずに殺されて「おめでとう」などと言っていいのか!)
以下は、デビッド・アイクのサイトのなかで一般の人が語っていたことを翻訳しました。結果的にはこの人の意見というより、ロイターの報道を翻訳する結果になってしまいましたが。
Is Gaddafi really DEAD? Picture fake?
カダフィはほんとうに死んだのか? ニセ写真?
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カダフィはほんとうに死んだのだろうか、それともまたもアメリカ政府による政治的な思惑によるニセ旗作戦であろうか?
これはオバマ大統領の計画的得点かせぎと、「ウォール街を囲め」運動から目をそらさせるための、新手のウソであろうか?
以下はロイターの言。
「落ちた英雄」のシルテ付近での死の真相は、はっきりしない。しかし国民評議会の何人かのメンバーによって、そのできごとが発表されており、あのよく見たカダフィの巻き毛をもつ人物の血まみれの写真で裏付けられている。
「彼は戦闘機からの攻撃で殺されました」と国民評議会の情報大臣マーモウド・シャーマムがロイターに語った。
西側権力は、二ヶ月前首都トリポリで起きた反乱を支持してきたのだが、彼らはいまだ確認中である、といっている。NATOは彼らの空軍機がシルテの車列を攻撃したが、そのなかにカダフィが乗っていたかどうかは確認していない、と語った。
何人かの国民評議会の兵士はカダフィが打たれ死ぬところをみたといっているが、その説明はいろいろである。
42年間のひとりの人物の支配から最終的に解放されるときが切迫し、群集はトリポリやベンガジのとおりで空にむかって銃を撃ったり踊ったりしているとき、国民評議会議長のムスタファ・アブデル・ジャリルは国中にむかって、テレビで演説したのである。
トリポリが陥落して二ヶ月、反カダフィ軍、西側、アラブ側支援者というごちゃまぜの同盟軍は、シルテを守る頑強なカダフィ派とその他いくつかの都市を、国民評議会が平定できるのかに疑問をもちはじめていたところだった。
官僚たちは、カダフィの側近者の多くはおなじ事件のなかで殺された、といっているが、彼の息子モタシムやその取り巻きは捕虜となり、もうひとりの息子サイム(長いこと「後継者」といわれてきた)は国民評議会によれは、いぜんとしてリビアのサハラ砂漠の広大な荒地のどこかにかくれている、とされている。
アラブの春
カダフィの死は、「アラブの春」で落日の支配者となったとなりのチュニジア、エジプト以来の劇的展開であり、シリアやイエメンの指導者たちの権力をも脅かすことになろう。
国民評議会閣僚のひとりマジド・ムレグタはロイターに「彼(カダフィ)もまた、頭を撃たれました。彼のグループを撃った人はたくさんおり、それで彼は死にました」と述べた。
ムレグタはさいしょ、60歳代後半のカダフィは木曜の早朝、車列で逃げようとしたところをNATOの戦闘機に銃撃され、捕まり、足を負傷した、そして彼は救急車で連れ去られた、とロイターに述べた。
シルテの国民評議会のある兵士は、カダフィは道のそばにあるトンネルに追いつめられ、捕まったあと撃たれたと言っている。
シルテを掌握することの意味は、リビア国民評議会によれば、カダフィ氏がその支配の象徴として作り変えたカダフィ氏の故郷である同市が陥落したあと、新しい民主主義システムの構築が始まるということだ、という。
石油とガスの莫大な収入が再び入ってくることで、リビアの6百万人の人々は、今は広大な砂漠のあちこちの街に散在しているが、長く競い合ってきた部族、民族、地域グループ間でその収入を分配できるような政府システムをつくるという大きな任務をせおっている。
カダフィは、民間人の殺害を命じた罪で国際司法裁判所から召喚されているが、8月23日反乱軍によってぐらつかされた。この日は彼が1969年にクーデターによって権力を掌握してから42周年の日からわずか1週間前である。
国民評議会兵士は、赤、黒、緑の国旗をあらたに掌握したシルテの中心街にある大きな施設にかかげ、歓喜と安心にわく仲間たちのあいだで祝砲を撃ちあげた。
国民評議会の数百の兵士は地中海沿岸のこの都市を数週間にわたる混戦のなかで包囲し、人数不明の防御側との戦いのなかで相当数の死傷者がでた。
国民評議会兵士が語ったところによれば、カダフィ軍のさいごのとりでにのなかには相当数の死者がのこされていた。いますぐ情報を裏付けることはできない。
(記事:ジョンヘミング、ウィリアム・マックリーン、アラステア・マクドナルド、編集:デイビッド・スタンプ)
これはオサマビンラディンのときとおなじような状況ではないですか? ほんとうでしょうか。
あなたはどう思いますか?
(翻訳おわり)
<転載終わり>