検証(86)1944年の東南海地震は人工地震だったか

8月9日深夜のNHKドキュメンタリー『シリーズ証言記録 市民たちの戦争「封印された大震災〜愛知・半田」』がネット界で話題になっている。

http://www.dailymotion.com/video/xkgfxg_20110810-yyyyyyyy-yy-yy_

さっそく見てみた。東南海地震がテーマ。

東南海地震は、終戦直前の1944年の12月7日午後1時36分に、紀伊半島東部の熊野灘三重県尾鷲市沖約 20 km を震源とする海溝型地震マグニチュード8前後の巨大地震だった。東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けた。8~10メートルの津波も発生している。

特にひどかったのが、半田市中島飛行機の工場。多くの学徒動員の少年少女たちが殺された。

この番組の趣旨は、「日本軍は地震の事実を隠そうとした」「日本軍が悪かった」「杜撰な工場の建築構造に問題があった」などという、NHKおなじみの軍部批判。

重要ポイントはそんなところにはない。番組の中での或る証言がとても興味深いのだ。

地震当時、中島飛行機の社員だった方の証言。地震発生から3日後の12月10日にB29が半田上空に飛来して、ビラを播いた。そのビラの内容は

地震の次は何をお見舞いしましょうか」

番組のその箇所のやりとりは以下。

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証言者:数日経ったらB29が来て、キラキラキラッーと、ビラを・・播いた。拾って見たらこれがまたショックだった。毛筆で、筆で・・・「地震の次は何をお見舞いしましょうか」って書いてあった。

NHK:アメリカが知っていた?

証言者:知ってた・・・

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つまり、米軍は、12月7日の地震直後に半田の軍需工場が壊滅したことを知り、そのわずか3日後にB29で上述のビラを播いた。しかも毛筆で書いたビラを。

これを聞いてすぐに311の時の米軍のトモダチ作戦を思い出した。311直後に現れたロナルドレーガンは偶然か? なぜか地震直後にいち早く現れる米軍。スマトラ沖大地震のときもハイチ地震のときもそうだった。

12月7日午後午後1時36分に東南海地震発生。

12月10日の昼間にB29が飛来しビラ投下。

地震発生を検知→偵察機を出動させて地震発生場所と被害状況を認識→ビラを毛筆で準備(いったい何枚書く必要があったか)→B29を出動させて半田上空に飛来してビラ投下

これらの作業を3日間(実質2日くらい)で行うことが可能か?

もちろんビラの内容は単なる脅しであった可能性はあるけれど、弊ブログは、当時の状況証拠から、米軍は、軍用機製造のもっとも重要な半田の工場を人工地震兵器によって攻撃した可能性がある、と考える。だから、ビラも事前に準備し、地震直後にB29を半田上空に飛来させることができたのだろう。

番組の中で当時の地震波形の記録が示されたのにも驚いた。311の時の波形に酷似しているではないか。いきなり振り切れるようなP波が・・・


(ブログ「B層よ!今すぐ覚醒せよ!」より失敬した画像)



【参照資料】
●B層よ!今こそ覚醒せよ!
http://b-layer-must-awake.at.webry.info/201108/article_13.html


●弊ブログ:検証30(質疑応答集)
http://d.hatena.ne.jp/gyou/20110511

Wikipedia東南海地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87

リチャード・コシミズ・ブログ:終戦直前、半田の中島飛行機工場を襲った大地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201108/article_38.html


●“1944年、米軍の「海底プレート爆破・大津波惹起」作戦計画”
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201103/article_124.html

●暴かれる1944年の東南海地震
http://qualitysaitama-blog.at.webry.info/201108/article_14.html

●“確認用 トラディショナルで当たり前に存在する人工地震兵器の歴史”
http://qualitysaitama-blog.at.webry.info/201104/article_56.html