浅川巧(あさかわ たくみ)

高崎宗司氏の書かれた本2冊。

特に「朝鮮の土となった日本人」は数日かけてじっくり読む。

詩人・茨木のり子さんの「ハングルへの旅」を読んでずーっと浅川巧のことが気になっていた。

この本によって、浅川巧の全貌が明らかになった。名著。

今から100年ほど前にこんなにすごい人がいたことに驚く。朝鮮を愛し朝鮮の人々を愛し、朝鮮の山々と朝鮮の工芸に帰依した日本人。林業技師の仕事をしながら精力的に朝鮮の民芸の美しさに魅入られ、その研究に身を捧げた。そしてわずか42歳で朝鮮の土となった日本人。

女優であり伝統工芸研究家の浜美枝さんは、この本を何十回と読んで、韓国のソウル郊外にある浅川巧のお墓参りをしたことが高崎宗司著「韓国民芸の旅」に書かれている。

僕も次回韓国に行くときには是非お墓参りがしたい。

Wikiからのメモ。

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浅川巧(あさかわ たくみ、1891年1月15日 - 1931年4月2日)は工芸・陶芸の評論家。朝鮮半島で、植林事業を行う傍ら、朝鮮半島の陶磁器と木工を研究した。

略歴:
1891年1月 父浅川如作、母けいの次男として山梨県北巨摩郡甲村五丁田(旧同郡高根町、現・北杜市)に生まれる。兄は、浅川伯教(のりたか)。
1907年6月 メソジスト教会で受洗。
1909年4月 秋田県大館営林署に就職。
1914年5月 兄を追って朝鮮半島に渡る、同年9月朝鮮総督府農商工務部山林課に就職。
1924年4月 朝鮮民族美術館を景福宮内に設立。
1931年4月 肺炎のため没。41歳。京城(現ソウル)郊外清涼里に葬られる。

関連施設:
韓国民俗博物館 朝鮮民族美術館収蔵品を継承。
浅川伯教・巧兄弟資料館 浅川兄弟の日記、遺品、陶磁片などを収蔵。

著作:
朝鮮民芸論集(岩波文庫
朝鮮陶磁名考(草風館)

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