慶州博物館


(金城(クムソン)が今の慶州)


新羅王国の首都だった慶州は日本の奈良のような都。

昨日は朝から土砂降りの雨だったので市内観光はあきらめて、慶州博物館を見ることにした。



ここで幸運な出会いがあった。



入場者に韓国語で解説をしていたボランティアの学芸員の方に韓国語で話しかけたところ、その方はなんと日本人(Aさん)であった。

Aさんと意気投合して約6時間館内の展示物の解説をしてもらう。Aさんは7年前に慶州に移住して人類学を学びながら慶州の研究をライフワークとしている素敵な日本人。

彼は日本の奈良とともに慶州が大好きだ、と言っていた。柳 宗悦(やなぎ むねよし、民藝運動の思想家)をたいへん高く評価していた。

3年前に韓国人の女性と結婚され、今は3歳の娘さんと三人暮らし。


Aさんが最近専門誌に投稿された論文のコピーをもらった。

「日本統治期慶州日本人移民に対する微視的考察」

日本の朝鮮統治時代に日本は朝鮮に対して悪いこともやったが良いこともしている。問題は複雑だ。これらを正確に腑分けして両国の間で議論を深めていかなくてはいけない。私はそのための日本と朝鮮の懸け橋になりたい、とも言った。立派な日本人である。百年前の浅川巧を思い出した。


夕食を食べにAさんご一家とおすすめの韓定食のお店に行く。


ところで、これ↓が例の新羅とローマとのつながりをうかがわせる出土品。


ローマ文化王国‐新羅

ローマ文化王国‐新羅

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/447601.html
呪文が解く謎
由水常雄『ローマ文化王国―新羅
細谷与邦

『ツミイシモツカクフンジユモクカンサイセンリユウキンサイクレンビヘキガンビヤクキ』。この呪文を続けて三回、場合によっては更に七回唱えると、有難いことに古代ローマ文化と朝鮮半島三国時代新羅との確かなつながりが見えてくる……はずである。
 今から二十八年前、三十七歳の由水さんは、『ガラスの道――形と技術の交渉史――』を世に問うた。ガラスの起源とその発展、そしてその後の世界各地への伝播をサブタイトル通り「形」と「製作技法」の二つの面から追跡したものだった。二年間のカレル大学留学(チェコは当時、ソ連軍の侵入・占領など受難の時代だった)、そしてヨーロッパ各地や東地中海沿岸の美術館、博物館での調査研究(パリでは学生達による五月危機など騒然としていた)に基づく闘志あふれる三百三十四ページ、三千八百円の大著だった。この本で特に注目されたのは、正倉院のガラスに関する記述だった。六点の収蔵品について「形と技術」から詳細な分析考証を行い、それぞれ原生産地としてペルシャ西アジア中央アジア、中国を特定し、製作年代は四〜五世紀から十七〜十八世紀に及ぶと結論づけたのであった。聖武天皇遺愛の品々は、勅封によって天平勝宝八年以来厳重に守られて来た、だからこそ正倉院シルクロードの終着駅とも言われて来た。由水さんは、正倉院東大寺に残された文書を詳しく検討し、正倉院へのガラスの出入りを文献上からも指摘した。反響も大きく、権威を重んじる方面から、それとなく圧力がかかったともきいた。しかし由水さんは言った。様々な出入りがあって現存するからこそ、正倉院は貴重なのだ。ガラスの一点一点が持つ情報が、歴史の動きを如実に説明してくれる。正倉院は将に宝庫であると。
 正倉院のガラスについては、由水さんは六点すべてを復元している。研究のかたわら各務クリスタルに一時身をよせ、ガラス製作の実技の習得にもはげんでいたのだ。従って技術に関する分析は手にとるように具体的で説得力があった。そんな体験と、ガラス工芸への愛着とが、次に東京ガラス工芸研究所の設立へ由水さんを駆りたてた。ガラス工芸のプロの養成学校である。当時日本で唯一のガラス専門学校だった。更に三年後には、石川県の能登島にガラス工房を開設し研究所の卒業生たちと工芸ガラスの製作をつづけている。
 マスコミなどでガラス大使のように啓蒙活動を活発につづけながら、ガラス美術館の設立に数多く関与し、地方自治体などの安易な観光美術館構想と闘いながら、いくつかの立派なガラス専門美術館を誕生にいたらしめている。
 作家としては、古代ガラス技法の復元によるミルフィオリパート・ド・ヴェールなどの他「破れガラス」という技法を開発し新しいガラス表現を世に問うなど、こちらでも意欲的な活動をつづけている。かと思うと、工業としてのガラスにも関心を持ちつづけ、光ファイバーに使用するガラスの透明度とか、世間から厄介者扱いされているゴミ焼却灰の最終処理に焼却灰のガラス化を提案するなど文化の東西交流史だけが由水さんの関心ではない。
 そして『ローマ文化王国―新羅』が書かれたわけである。この仕事の前に『世界ガラス美術全集』全六巻の編著という大仕事があった。これは、古今東西のガラスの総覧で、恐らく世界初の快挙ではなかろうか。この大全集は考えようによっては、『ローマ文化王国―新羅』の為の基礎的準備作業だったようにも思えるのである。『ガラスの道』以来三十年、手元に集められた資料を次のステップの為に整理してみたというわけだ。
 お隣り朝鮮半島三国時代(四〜六世紀)、唯一新羅だけが圧倒的に強力な中国文化とは異質のギリシャ・ローマ系の文化を享受していたというのである。この一見突飛もない話を、「形と技術」により実証してみせるのが由水流というわけだ。
「遺物に満載された情報を適確によみ解いてゆく」由水さんの手法は、まさに「スリリングな謎解きの面白さ」に満ちていて、今回は、ガラスに加えて、積石木槨墳、樹木冠、細線粒金細工、連眉碧眼白肌(これはガラスのトンボ玉)などをキーワードとしながら、重層的に精緻な論証を行っている。更に、ローマ文化と新羅との交流の必然性を「中国戦国春秋論」「中央アジアギリシャ・ローマ王国バクトリア」「ケルトとスキタイ」など、古代ユーラシアの壮大な文化交流の流れの一環として捉える構想も進んでいるという。次はどんな呪文が登場するのか大いに楽しみにしている。