早朝4時過ぎに目が覚める。NHKの深夜便の心の時代をひさびさに聴く。
禅僧の方の話に聴き入る。思わずφ(..)メモメモ
この方は、「藤田いっしょう」(とアナウンサーが言っていた)という方。詳しいことは分かりませんが、アメリカで禅修行の実践と指導をされているようだ。
座禅は発酵食品である。
悟りとは、我々がまったく考えつかない、思いつかないような体験である。
自分をそこにつくしていく(自分のクセを少しずつ取り除いていくこと)。
たとえば、時間が来たらそこに座る。ちまちまと考えてはダメダメ。
自己を習うとは自己を忘れることなり。
放てば手に満てり。
体が頷くこと。
座禅には無限の深まりがある。
悟りとは常に「生もの」である。
知識や体験に停滞していてはだめ。これは執着であり、知識にあぐらをかくことである。
座禅とは炎である。(座禅中には血液は体内をお流動し、呼吸が持続し、あらぬ想念が渦巻き、思考が乱舞し、拍動が連打する。)
せせこましい「自分が・・自分が・・」という「自分の物語」づくりはつまらない。
道元と親鸞上人に影響を受けた。
道元と親鸞の共通項は、修行の成果や御利益として何かをお駄賃としてもらう、という発想が無い、ということ。修行とその御利益、という2段構えではない。
ナムアビダブツは最高の「感謝」のマントラである。