「日本を守る」といった一見かっこいい言葉の裏に、実は、戦争ビジネス屋・国際金融マフィアに寄生されているアメリカに隷属し軍国主義に舵を切ろうとする売国政治家に国政を任せるのか、それとも対米隷属から独立を果たし本来の日本を取り戻す方向に舵を切るのか、その瀬戸際の選挙。女性票に期待大。
植草事件の真相掲示板に掲載された渡邉エイさんという(おそらくご年配の)女性の投稿文に感動したので転載させていただきます。
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs
●旧「生活党」議員団の活躍・健闘こそは、平成の世の”討ち入り”!
投稿者:渡邉エイ 投稿日:2012年12月10日(月)12時00分52秒
国民は、心の奥深い所で、常に”正義”を求めていると思います。とりわけ、女性は、男性に比べて、はるかに潔癖です。
今回の総選挙では、そのような潔い女性が選ばれ、同時に、心ある女性こそが、投票者(=有権者)の主体となることでしょう。
今日の日本における具体的な”正義”とは、「消費税増税反対」、「脱原発」、「反TPP」、それに「反オスプレイ」ではないでしょうか。
これらの実現を目指して、多くの心ある日本国民が、この寒空の下、日々の選挙運動に邁進しています。
つまり、今回の総選挙は、何よりも「正義」と「不義(あるいは、不実)」との戦いだと思います。そして、如何なる苦難がありましょうとも、正義は、必ず勝つと確信しています。
来たる16日(日)の総選挙について考えます際、私はなぜか、14日の赤穂義士による”討ち入り”のことを思い出します。
現代の選挙と江戸時代の”討ち入り”を同列に扱うなど、もはや、無知蒙昧なる一老婆の見果てぬ妄想と、どうか、お笑いくださいませ。
ただ、なぜか、12月と言いますと、私のような古い人間は、去る8日の真珠湾攻撃と14日の”討ち入り”を思い出すのです。
ご存知のように、元禄の世の”討ち入り”は、赤穂浪士たちにとりましては、主君・浅野内匠頭長炬(たくみのかみ・ながのり)の無念を晴らそうとの一念による所業でした。
しかし、それは同時に、公儀(=幕府)による、余りにも性急、かつ理不尽なる裁きに対する“異議申し立て”の意味もあったかと存じます。
まさに、義士たちが空高く掲げた”正義”の御旗こそ、当時の江戸町民が、心の奥底で共感したものだったのではないでしょうか!
それゆえにこそ、江戸八百八町の町民が、こぞって、赤穂四十七士の快挙に喝采を叫んだのでございます。実際、“民の声”とは、そんなものかと存じます。
解散前の「生活党」の議席数は、確か、衆・参合わせて48名(旧「絆」を含め)でした。
この方々の民主党からの離党・脱党こそが、まさに、今日の日本政治における”正義”でした。彼らは目下、「日本未来の党」に所属していらっしゃいます。
小沢一郎議員と行動を共にされた、この47名の衆・参両議員団こそ、まさに、平成の世の”討ち入り”の義士たちと申せましょう。
では、討ち入るべき相手とは、一体誰でしょう? 究極は、アメリカの国際金融資本家たちでしょうが、先ずは、変質した(というより、本音をさらけ出した)「悪徳民主党(=第二自民党)」だと思います。とりわけ、その首魁たる野田佳彦氏を落選に導くことは、何より意義深いことだと感じます。
同氏は、比例代表第一位か何かで、あくまで居座られるようですが、同氏の、国民に対する
数々の裏切り行為を、明々白々にしなければ、今後の政治運営にとって、大きな禍根を残すことになりかねません。
それにしましても、仲間を蹴(け)落としてまでも、自分だけは生き残ろうとする同氏の姿は、まるで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に出てくるカンダタのようですね。まことに哀れなものです。事実、何と浅ましいことでありましょうか。
最近の野田氏の、あのホームベースを思わせる厚顔無恥な悪相は、額に「刀傷」でも付けますれば、なかなかの吉良上野介の顔になりますね。
本来なら、3年前の「政権交代」において、小沢一郎議員こそが、総理大臣になられるはずでした。そこにこそ、まさに民主政治の”正義”がございました。
これにつきましては、植草先生も、よく強調なさいます。皆さまも、ご異論の無いことかと存じます。同時に、この真実は、どれほど力説しても、足りない程です。
しかし、不当な検察権力、最高裁判所、最高歳事務総局などの腐り切った邪悪・不正なる法権力や旧自公政権などの政治権力によりまして、国内の自然、かつ民主的な政治の流れが無理矢理、捻じ曲げられてしまいました。無論、すべては、アメリカのCIAやウォール街の差し金によるものでした。
その意味で、今日の日本は、戦後の下山事件や松川事件、さらには三鷹事件が連続した1949年頃と、何ら本質的に変わっていない、と感じます。
特に、1993年に、小沢一郎議員が自民党を離党された後、同氏は、「三宝会」を始めとするアメリカの走狗たちによって、厳しくマークされていました。
とりわけ、小沢氏が民主党の代表になられて以来、権力者たちによる攻勢や圧力は異常な程でした。それは、まさに”狂気”とさえ言えました。そんな厳しい攻撃にさらされつつも、小沢氏は、本当によく頑張られました。
実際、小沢氏の「無罪」が確定した日、同氏は、次のように語られました。
「3年7ヶ月に及ぶ検察の捜査と裁判の日々だったが、本当に忍耐の毎日だった。国民の励ましがなければ、到底、この重圧に耐えられなかった」と。
この“国民の励ましがなければ”との言葉が、心に強く響きます。
まさに耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだのが、小沢一郎議員であります。
つまり、心ある国民は、”正義は、小沢氏にある”と、心底信じたがゆえに、心から同氏を励まし、かつ支援したのだと思います。
これは、48名の旧「生活党」の議員諸氏も、まったく同じだと存じます。
この方々の中の衆議院議員が、この度の総選挙で、思う存分、ご活躍・ご健闘なさいますでしょう。
なぜなら、多くの心ある国民・市民が、彼らを心から支援するからです。と申しますのも、多くの国民が、政治の“真実”を、次第次第に掴みつつあるからです。
今月16日、3年前の「政権交代」の時に似た、あるいは、それを上回る“異変”が起こると信じます。先述いたしましたように、国内の心ある女性たちが、その大きな担い手となりましょう。その主体となる「日本未来の党」の原動力とも起爆剤ともなるのが、この旧「生活党」の48名の議員諸氏だと思います。
今日、平成の大石内蔵助とも言える小沢一郎氏が、「消費税増税反対」、「脱原発」、「反TPP」、それに内心「反オスプレイ」といった正義の旗を掲げて、嘉田代表と共に、不正・不義なる自・公・民・み・維新の会との戦いに挑んでいます。
小沢一郎氏の政治行動こそ、皆さま、ご存知のように、まさに“身を捨ててこそ、浮かぶ瀬も有れ”の精神であります。
小沢氏の勇断に基づく「生活党」の解党の潔さは、散りゆくソメイヨシノの美しさに喩えられましょう。日本人は、この美しさを、たいそう好みます。
でも、愚息のブログを読みますと、桜には、八重桜、あるいはヒカンザクラの、ある意味、したたかな美しさもございます。
当地・熊本では、この種の桜を、「チョウチンザクラ」と呼んで、たいそう愛し、親しみます。それこそ、桜の花弁の一つひとつが、まるで提灯(ちょうちん)を灯(とも)したようで、実に楽しげな風情なのです。
今日の「日本未来の党」(無論、同党の友党である北海道の「大地」も含め)には、この八重桜、ヒカンザクラの美しさとしたたかさがあるのではないでしょうか。
つまり、そこに集う、一つひとつの集団や個人個人が、遺憾なく自らの個性を出し合い、活き活きとしていて、本当に楽しそうです。それは、まるで祭の雰囲気です。
確かに、選挙は、ある意味、お祭のようなものです。それゆえ、このように自然と湧き起こる、明るい美しさが求められるのではないでしょうか。
日本人は元来、このような和気藹藹とした祭の精神が大好きなのだと思います。
まさに、巷間言われていますように、「自民こりごり、民主がっかり」の政治状況下、再び「自・公・(民・み・維新)」による野合政権の誕生のような悪夢や悲劇だけは起こしてはならないと存じます。
そのためにも、「日本未来の党」を中心とした新しい政治の流れに、心ある日本国民が、積極的に参集して欲しいものです。
でも、ものごとの動きには、必ずコア(中核)になる存在があります。くどくなってもいけませんが、かつての「生活党」こそ、まさに「日本未来の党」の中核だと存じます。しかし、それゆえにこそ、同議員団には、果敢な中にも、真に謙遜でいてほしいと思うのです。
さあ、今こそ、来たる16日(日)の総選挙に向けて、いざ出陣!