妻を看取る日(垣添忠生)

朝4時過ぎに眼が覚めてラジオを付けるとNHKラジオ深夜便。ぼんやりした頭で聞くともなく聞いていると、思わず引き込まれてしまった。(水、木の2日間)

国立がんセンター名誉総長の垣添忠生(かきぞえただお)さんが奥様を癌で亡くされたときの話。ドキドキするような話にすっかり眼が覚めてしまった。


(後半の奥様の癌が発覚したところから(うろ覚えなので、間違っていたらごめんなさい))


奥さまの肺に癌が見つかったのは2006年の春。最初の癌は切除手術と陽子腺治療で一旦治ったかに見えたが、半年後に肺のリンパ節に転移が見つかった。転移は一つなのだから治る、と信じて抗ガン剤治療を行ったらしい。

抗ガン剤を投与したところ、一時的に効果があり、担当医ともどもよろこんでいたところ、しばらくすると癌は全身に転移していた。もう手がつけられない状態。数ヶ月の命と診断された。死を覚悟した。

抗ガン剤の治療は相当きつかった。医師で国立癌センターの総長でもあるご主人に対して、奥様はこうつぶやいた。


「抗ガン剤治療は苦しいけれど、あなたのために我慢します」


言外の意味は、

「私は国立癌センターの総長の妻である以上、処方される抗ガン剤治療を拒否するわけにはいかないことを心得ています」

ということでしょう。


死期が近づいた頃、家に帰りたいといって泣いたらしい。気丈な奥様で結婚以来一度も泣き顔を見せたことがなかった方がこのとき初めて泣いた。住み慣れた自宅で死にたかったのだろう。

3か月ぶりに家に帰ったのは暮れもおしつまった2007年の12月28日。この日、魚の夕食を美味しそうに召し上がった。ほとんど食べられない状態だったのに。

翌日から意識がなくなり昏睡状態となり、大晦日の夕方6時過ぎに息をひきとった。

話を聞いていて背筋がぞくっと驚いたのは、亡くなる直前に起こった不思議なこと。

昏睡状態だったはずの奥様が急に上体を起こして、目を閉じたまま言葉も無く、ご主人の手をとってぎゅっと握りしめ、そのままガクッと息をひきとったというのです。垣添さんはそのとき号泣した。

最後にご主人に、ありがとう、と言いたかったのでしょう。これを聞いて目頭が熱くなった。


現代の癌医療の問題を含めていろいろなことを考えさせられたインタビューだった。


【感想および教訓】
垣添 忠生さん(1941年生、桐朋高校から東大医学部へ進学)は、癌治療の専門医であり、国立がんセンター名誉総長という肩書きからもわかるように癌治療の最高権威でもある。

そのような方でも、最愛の奥様の癌を治すことができなかった。垣添さんは、癌には治る癌と治らない癌がある、と言われていた。


弊ブログとしては、

「抗ガン剤を投与したところ、一時的に効果があり、担当医ともどもよろこんでいたところ、しばらくすると癌は全身に転移していた」

という部分に注目したい。

船瀬俊介氏によると、抗ガン剤が効いたとしても、それは一時的な現象であって、癌は一旦奥の方へ引っ込んだ後、さらに強力になって復活し全身に転移していく。船瀬氏は、この現象から、抗ガン剤は「増ガン剤」だという。人体の免疫機能を殺してしまうからだろう。


ただ誤解がないように急いで言っておきますが、垣添先生は立派な方だと思います。医学生の頃はインターン制に反対した活動家でもあったらしい。話を聞いていただけでも、すばらしい人格のお医者さんだと確信します。

そのような聡明な方が現代医学の癌医療の矛盾や問題点について疑問を感じなかったのでしょうか。不思議です。

インタビューの最後では教科書通りのことを仰ってました。


●癌に対処するためには、早期検査と早期発見が重要である。
●癌ワクチンも重要である。
●タバコが一番危険である。


癌ワクチン、特に子宮頸癌ワクチンの危険性はどうなのでしょうか。

タバコってそんなに危険なのでしょうか。(タバコの害のウソについては後日検討する予定)

昨日紹介した「癌では死なない」には、「検診で癌が発生する危険性」や「癌検診は無意味である」とも書かれている。

癌検診→早期発見→早期癌治療→早期免疫機能低減→早期癌死、というコースで亡くなられる人が多いのではないか?

人間の体内では、健康な人でも、毎日2000個から数万個の癌細胞が生みだされているといわれている。癌検診の精度が上がってこれら癌細胞が検出されたときに、医者はどうするのか。

抗癌剤の開発や医療技術が発達している割には癌死患者が増え続けているのはなぜなのか。食生活の変化やタバコが原因なのだろうか。


癌死ではなく「抗癌剤死」が癌死亡率が近年増大している主たる理由ではないか?

奥様が「抗ガン剤治療は苦しいけれど、あなたのために我慢します」という趣旨のことをつぶやかれたのは、奥様が現代医療に感じた本質的な疑問の表明だったのではないだろうか。


垣添先生は、次のような本を出版されているようです。

「妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」

妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録

妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録