スミソニアン博物館

空き時間に寸暇を惜しんでスミソニアンを大急ぎで見学する。

入り口を入ったすぐのスペースにアポロ11号の現物(地球に戻ってきた操縦室の部分)が展示されていた。隣のスペースには月に降り立つときのアームストロングたちのジオラマの展示も。

アポロ11号は本当に月に安全に降り立ち、さらに月面から再度発射されて地球に帰還したのだろうか?40年前の技術でそのようなトンデモないことができたとは到底信じられないという人もいる。現在の技術をもってしても不可能である、という識者がいる。さらに問題なのは、バンアレン帯を通過して人間が生きて帰ることはできないという人もいる。強烈な放射線をどうやって防ぐことができたのか? 極めて疑わしい。

つまり、このスミソニアンの展示は「ヤラセ」である。

40年前に月と地球の間の往復技術が実現できていたとすれば、今頃は月への定期航路ができていて、JTBあたりが「新婚/熟年月世界旅行ツアー」を企画していて当然だと思うが、そんなものは未だかってできるはずがないし、これからも未来永劫できないだろう。人類は地球の重力圏内とバンアレン帯から出ることはできないのではないか。

一方、地球の大気圏内での飛行を夢みたライト兄弟の展示が充実していた。ライト兄弟が世界初の制御飛行に成功した理由は、おそらく「自転車」にあるのではないかと思っている。かれらは飛行機の試作を続けながら自転車屋さんを営んでいた。これが彼らの成功の秘密ではないか。

ヒントは「操縦性」。

成功の要因はいろいろあるかもしれないけれど、飛行機の操縦性能の獲得こそ最も重要な成功のファクターだったのではないかと思う。


人体と機械(飛行機)が一体化して、一心同体となって初めて長時間の制御飛行が可能になる。飛行機の構造物の隅々まで身体が拡張すること、これである。その能力が培われたのは、商いとしての自転車の製作販売があった。つまり自転車の操縦性能を知り尽くしていたからこそ、飛行機の操縦性能の獲得を最重要の技術課題とし、それを実際に飛行機械に実現化できたから成功することができたのではないだろうか。

同時代の飛行機発明家とライト兄弟との決定的な違いはこの「操縦性能」を重視するか否かにある。たぶん。

逆に言えば、操縦性能を徹底的に検討しなかった飛行機製作家はすべて失敗している。(そして、この身体機能の拡張としての飛行機の問題にはマイケル・ポランニーの暗黙知の理論が関係しているはず)

ライト兄弟が生きた時代は、飛行機という機械があたかも道具のように人間に寄り添い人間の意識的な操作に依存しながら身体を大気へと拡張しようとするマン・マシーンシステムが生きていた幸福な時代だった。

ところでこの時代の飛行機は、稲垣足穂(イナガキタルホ)流に「飛行器」と書くべきか。

館内のショップでライト兄弟関係の本とDVDを買う。