正阿弥勝義の超絶彫金工芸





正阿弥勝義(しょうあみ・かつよし)。岡山(津山)が生んだ天才彫金作家。

昨夜のNHKのBSプレミアム↓を見て感動。

極上美の饗宴
「シリーズ“いのち映す超絶工芸”金属に刻んだ躍動の一瞬・彫金家・正阿弥勝義」


日本のアールヌーボーというよりも、むしろ日本独自の博物学的緻密さと美的配置と俳句的なウィットが結合した金属工芸の極致。

そこはかとなく根付の伝統技術にも繋がっているような気もする。

正阿弥勝義氏の座右の銘は、「森羅万象これ我が師」。いい言葉です。



今週の土曜日に再放送↓があるようです。金属工芸に興味がある人もない人も必見です。


5/28(土) 12:00 〜 13:00
NHK BSプレミアム
(解説)
 いまにも飛びかかってきそうなカマキリ。金属とは思えないほどリアルな生き物を作ったのは、明治の彫金家・正阿弥勝義。シリーズ3回目は、躍動感を刻んだ技の秘密を探る。
 こちらに飛びかからんばかりのカマキリ。鳴き声が聞こえてきそうなセミ。金属とは思えないほどリアルな生き物を作ったのは、明治の彫金家・正阿弥勝義。タガネと呼ばれる道具を駆使した超細密描写は、世界を驚かせた。勝義は、幕末、刀の金属に装飾を施す仕事で生きてきたが、40代半ばのとき、明治の廃刀令で職を失う。逆境からの再出発。前代未聞の表現を求めた果てに、たどりついた技
の秘密を探りながら、その人生を追う。

出演:桂盛仁、小林正雄、海野和男、臼井洋輔【語り】井上二郎

以下、備忘メモ。

参考文献:
「正阿弥勝義の世界」(臼井洋輔)
「正阿弥勝義の研究」(浅原健・臼井洋輔)
「日本の彫金−その歴史と伝承技術−」(船越春秀)
岡山県立博物館研究報告第二集」
作品は「岡山県立博物館館蔵優品図録」「林原美術館名品選」などでみることができる

http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/syouami/syouami.htm

 正阿弥勝義は、江戸から明治の変革期にありながら、常に自らの作品の完成のみを求めつづけた金工である。

 天保3年(1832)に津山の二階町の彫金師、中川勝継の三男として生まれる。幼名は淳蔵。

 幼少の頃から父に彫金を学び、江戸幕府に出仕した後、18歳のときに岡山の彫
金の名家、正阿弥家の養子となる。正阿弥家の九代目となってからは、実兄中川
一匠の指導を受ける。一匠は、代々徳川家に仕える彫金師、後藤家の門人であり、
江戸幕府及び宮中の御用職人を務めていた。

 正阿弥家は代々岡山藩の御抱え職人で、藩主の注文に応じて刀装具を作り、安定した暮らしをしてきた。しかし勝義の代には、明治維新で藩主との雇用関係は解消され生活の保障がなくなり、さらに、廃刀令により刀装具の仕事もなくなってしまった。

そういう時代の流れで、多くの金工が廃業していく中、勝義はその技術を生かして新たに花瓶や香炉などの室内装飾品、彫像などの美術工芸品の制作を始めた。
明治11年(1878)には、神戸の貿易商の注文で、当代随一の工芸家達と3年がかりで大衝立を作り上げる。これはアメリカに輸出され、現在ボストン美術館が所蔵している。

 その後、勝義は国内、海外を問わず精力的に博覧会や美術展に出品し、各地で高い評価を受けた。受賞30数回、宮内省買い上げは13回に及んだという。

 その作風は、上品にして精緻(せいち)、ときに生々しいほどの写実的な表現で、丹念に作り上げる。またその作品の色数の多さ、鉄錆地の美しさは、彫金師の中
でも群を抜いている。

 晩年は美術研究のため、京都に住まいを移した。明治41年(1908)に脳卒中で京都で逝去し、墓は岡山の東山にある。