以下のアゴラの記事を読むと放射能恐怖を煽る報道に対する反撃がはじまりつつあると思いたいのですが、まだまだ弊ブログのような放射能「閾派」の勢力は、圧倒的に弱い。少数派。
それにしても広瀬隆、小出裕章、武田邦彦および児玉龍彦ら放射能恐怖煽動四人組の罪は重い。
これら四人組の悪行については過去の弊ブログ参照:
http://d.hatena.ne.jp/gyou/20111109
さらにこれら四人組に加えて、岩上安身、上杉隆その他大勢による放射能コワイコワイデマを垂れ流し続けた、いわゆるジャーナリストと称する放射脳な人々の罪も重い。
以下のアゴラ記事のような放射能に対するバランスのとれた見解が広がることを願うばかり。
ところで、今日はこれから出張のためシカゴまで飛ぶ予定。飛行中は放射線(宇宙線)をしっかりと浴びて元気になります。
飛行中の被爆量はせいぜい0.1ミリシーベルト(100マイクロシーベルト)くらいなので、放射線ホルミシス効果を得るにはちょっと足りないか(+_+;)\パコッ!
以下、アゴラの記事を転載しておきます。石井孝明という方の論考。とてもよくまとまっている。
◆「放射能ストレス」 岩上安身氏、上杉隆氏、広瀬隆氏、小出裕章氏、武田邦彦氏の放射能デマが原因
http://agora-web.jp/archives/1462520.html
GEPR掲載のアゴラ研究所フェロー石井孝明の論考を転載する。
「福島の原発事故で出た放射性物質による健康被害の可能性は極小であり、日本でこれを理由にがんなどの病気が増える可能性はほぼない」。
これが科学の示す事実だ。しかし、放射能デマがやむ気配がなく、社会の混乱を招いている。デマの発信源の一つがメディアの「煽り報道」だ。
放射能の正確な事実の伝達は積極的に行われるべきだ。また原子力発電について賛成、反対をめぐる自由な発言をして、エネルギーの未来を考えることは意義深いことだ。しかし不正確な情報やデマの拡散は他者を傷つけ、自分の社会での信用も失わせ、社会に混乱を広げる。
さらに「煽り報道」はメディアそのものを自壊させる行為だ。日本国民の大多数は賢明で冷静であり、報道の真偽を見極めている。放射能をめぐる誤った煽り報道はそれを発する記者個人、媒体、メディア企業、さらには報道全体への不信を生み出している。報道への信頼の崩壊は、メディアの存立基盤がなくなることであり、それは自由な報道が前提になる民主主義体制にも悪影響を与える。
デマを拡散した人を過度に糾弾する意図はないがその反省をうながし、これまでの事実を示して誤った報道や情報洪水への対策を考える。
「福島の奇形児」スクープ?
「お待たせしました。福島の新生児の中から、先天的な異常を抱えて生まれて来たケースについてスペシャルリポート&インタビュー。スクープです。賛否はあるでしょうが、勇気あるカムアウトした当事者には温かいエールをお送りください」。
昨年12月、インターネット上の短文ブログ・ツイッターで異様な書き込みが行われた。これはジャーナリストの岩上安身氏によるものだ。福島の原発事故と新生児の異常は無関係であるにもかかわらず、関連づけるかのような書き方をしている。しかも人の障害を報じることにまったく自粛の姿勢がないことに驚く。
念のために説明すれば、先天的異常は新生児に一定の確率で起こる。原爆の医療記録によれば、妊娠中に一瞬で数100ミリシーベルト(mSv)の強い放射線を浴びたときに、胎児に影響が出た例がある。現在の福島では、自然放射線に加えて年数mSvの放射線量の増加しかないので、放射線による障害など起こるわけがない。
この「スクープ」には批判が殺到し、岩上氏はこの書き込みを削除。同氏はその後も横浜で福島から飛んできたストロンチウムが見つかったなど、誤報を繰り返し流して批判を浴びた。
福島の原発事故では、放射能と原発をめぐる情報があふれた。ところが、それらは玉石混交で危険を過度に煽るおかしなものが多かった。その発信源の一つが、岩上氏らが活動の拠点にするフリーランスのジャーナリストの集まった「自由報道協会」(上杉隆代表)だ。
この団体は危険を煽る人々、政治主張を重ねる反原発派の人を繰り返し登場させた。今は「誰でもメディアの時代」だ。映像またブログ記事が、インターネットを使い容易に拡散する。
同協会は昨年7月にクリス・バズビーという人物の記者会見を主催した。彼は「福島第一原発の100キロ圏内で数10万人単位のがん患者が出る」と予告。この情報が拡散し、不安を広げた。彼はECRR(被曝リスクに関する欧州委員会)という反核私設団体の幹部にすぎない。
しかも、このバズビーなる人物が日本人向けに数万円のサプリ、放射能検査を売り込んでいたことを日英のメディアが暴いた。すると失踪してしまった。
また反原発活動家の広瀬隆氏らは同協会で昨年8月記者会見し33人の行政、東電関係者を「子供たちの健康を害した非人道的行為による業務上過失致死傷罪」で刑事告発したと発表した。ただのパフォーマンスだが、その中には山下俊一氏(福島県立医大副学長)などの医学者も含まれていたのは問題だった。
山下氏は「100mSv以下の被ばくと発がんには因果関係がない」という学会で認められた説に基づいて、事故の対応策を福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーとして勧告した。それに対して、広瀬氏らはECRRの説を根拠に刑事告発したのだ。
この後に医学界、原子力や放射線の専門家の間で、放射能や原発問題などの発言が自粛される空気が醸成されたという。医師や学者は他者からの攻撃には慣れていない人々で、刑事告発騒ぎなどを見て、萎縮するのは当然だ。広瀬氏の行動は言論や学問の自由を圧殺する危険な行動だ。それに自由報道協会は加担したのだ。
雑誌に広がった「売るため」の過激情報
技量不足の報道が行われても「プロ」の既存メディアがしっかりしていれば、問題はなかっただろう。しかし雑誌メディアを中心に煽りは過剰だった。
雑誌記事のタイトルを紹介してみよう。
「20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」(『週刊現代』7月16・23号)。
「30キロ圏そばで耳のないウサギが生まれた」(『フラッシュ』6月14日号)。
「セシウム米が実る秋」(『サンデー毎日』8月26日号)。
いずれも科学的な事実には反するものだが、思わず手に取りたくなる印象的なタイトルだ。売ろうとする意図は分かるが、こうした言葉が拡散することで、社会に不安が蓄積する。
一部の雑誌は放射能パニックに陥った母親の姿を肯定的に取り上げた。『AERA』は「見えない「敵」と戦う母 放射能から子供を守るために」(6月19日号)という記事を掲載。食事による内部被曝を避けようと、学校に手作り弁当を持参させ深夜に食材を求め奔走する様子を紹介した。
同誌の記事はエスカレート。「ふつうの子供産めますか 福島の子どもたちからの手紙」(8月28日)という記事もあった。パニックに陥っていると思われる子どもたちが恐怖におののく手紙を掲載したものだ。
福島県の放射線は通常の生活が送れるレベルで健康被害の可能性は極小だ。また「ふつうの子供」という表現には、障害を持った人々への蔑視や偏見が込められている。こうした事実を同誌は真剣に受け止めず、子供の不安を取り除く努力もしていない。
『週刊文春』は「衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い!」(2月23日)という記事を掲載した。執筆者は自由報道協会の理事というにおしどりマコというタレントだ。
記事は福島からの避難者の検査の中で、「良性の甲状腺結節」という結果の出た子供が検査を受けたという内容だ。「結節」は頻繁にあるしこりで、大半はがんには結びつかない。それを「がんの疑い!」と断定して報じた。
日本の雑誌メディアでは、原発問題では革新系が反原発の立場に立って放射能について危険に注目した情報を流し、保守系がその過剰さを批判する構図がこれまであった。ところが保守系雑誌の代表格の「文春」が、放射能の煽りに参加した。あらゆる立場の雑誌が放射能パニックの醸成に加担しているのだ。
自称「専門家」たちの横行
テレビ・ラジオ放送も多くの問題があった。民放のワイドショーには、放射能デマを繰り返してきた人が「専門家」として頻繁に登場した。
武田邦彦中部大学教授は放射能に関するあいまいな情報を拡散。「福島の野菜は青酸カリより危険だ」などという話をブログで掲載し、「反放射能」「反原発」の書籍を数多く出版している。かつて、この人物は原子力の安全性と可能性を訴えていた。
京大助教の小出裕章氏は、「チェルノブイリで数十万人が死んだ」と、低線量被ばくの恐怖を拡散。しかし、これは事実に反する。ロシア政府の報告などによれば確認された死者は50人以下で、汚染された乳製品などの食料を食べた人以外は、発がん率の増加は観察されていない。
さすがにパニックを誘発するような言葉は放送で述べていないようだが、テレビ、ラジオが取り上げれば、これらの人々の書籍を手に取る視聴者も増える。結果的に、デマ拡散を支えてしまう。
前述の広瀬隆氏のある講演がインターネット上の映像サイトに掲載されていた。そこで彼は放射能の「治療法」として「うちの娘のつくった生みそは放射能に効く」と言っていた。放射能パニックを利用して、恐怖心につけ込んだ宣伝行為に他ならない。
これを見た筆者は、専門家と称する人々が社会に与えた損害、そしてパニックで彼らが得た利益を考え暗澹たる思いになった。
放射能問題をセンセーショナルに扱ったネットメディアや雑誌に比べ、NHKと新聞などの活字メディアは事実を淡々と伝え、煽りを最小限に抑えようとしていたと、一定の評価ができる。しかし、それでも時にはおかしなニュースが提供されることもあった。
昨年12月28日にNHKは「追跡!真相ファイル 低線量被ばく 揺らぐ国際基準」という番組を昨年12月28日に放送した。この中で「世界の原発の周囲で病気が増加している」と伝え、さらに放射能をめぐる防護基準をつくるICRP(国際放射線防護委員会)が原子力産業からの圧力で、基準を緩和したと報じた。ネットを中心に原子力産業への批判が視聴者の間で渦巻いた。
ところが事実は放送内容とまったく逆だ。ICRPは放射線についての厳しい国際世論を背景にして、一貫して防護基準を強化している。この番組について、原子力学会の専門家らが1月に原子力学会の専門家らが1月に抗議文を提出している。BPO(放送倫理・番組向上機構)に提訴する動きもあるという。
昨年秋に連載された朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載は煽り記事が続いた。例えばこんな報道があった。
「東京都町田市の主婦の6歳の長男が4カ月の間に鼻血が10回以上出た」。この母親に、原爆に被曝した反原発活動家の肥田俊太郎医師が語りかける。「広島でも同じことがあった」。記事中に「こうした症状が原発事故と関係があるかどうかは不明だ」と逃げの文章を入れるが、読み手に不安を抱かせる記事だ。(12月2日記事)
町田市での子供の鼻血は原発事故の影響であることはありえない。それなのに記事は「証明できないがあるかもしれない」と匂わせる。「プロメテウスの罠」は、同じような危惧を抱かせる内容の記事を延々と紹介した。他紙面では事実を伝えているのに、この特集は特異だった。
東京新聞(中日新聞東京本社)の報道は全般的に反原発色が強いが、関東圏で2ページの特集記事の枠を持つ「特報部」は過激な内容の記事が多い。連日、反原発系の識者が登場。「低線量被曝の世界的権威」として、前述のクリス・バズビー氏の「(日本政府の被ばく基準は)恣意的で誤り」とするインタビュー記事(7月20日)を伝えた。こうした報道姿勢から反原発団体の間で、同紙の評判はよくなっているという。
リスクに比べて「騒ぎすぎ」の報道
多くのテレビ、新聞、雑誌が事故後、放射能の影響について大量に報道してきた。しかし伝えた恐怖の割に、放射能による死者はゼロ。これほどの報道の必要があるとは思えない。
低線量被ばくについては、科学の認識は一致している。「100mSv以下の被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど影響は小さく、放射線による発がんのリスクの明らかな増加を証明することは難しい」(内閣官房・低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書)。
分かりやすく言い換えれば、喫煙、運動不足など、健康をめぐるリスクは身の回りにあり、今の放射線量ならば他の悪影響に埋もれてしまうほど影響は軽微ということだ。
この見解はチェルノブイリ事故、広島・長崎の原爆の調査、その後の世界各国の疫学調査で確認されたものだ。福島・東日本の原発事故による放射線量の増加は、多くて初年に数mSv程度。今後はこの数値は減っていく。
まとめれば、一連の報道は騒ぎ過ぎなのだ。福島・東日本で福島原発事故による放射性物質での白血病、固形がん、遺伝性疾患などが増加する可能性はこれまでもなく、これからもないと、筆者は判断している。
「原発への反感」「恐怖感」が報道に混入
ではなぜ騒ぎ過ぎの状況が起こったのだろうか。理由は複合的だ。
原発事故後には「何を信じていいか」という規範がなくなった。政府、東電、原子力関連学会は「原発は安全」と言い続けてきた。そして大多数の人は原子力の問題について、何も考えてこなかった。
そこに突如起こった原発事故。「だまされた」と既存の制度への不信が広がる中で、人々が新しい異論に飛びつきやすい状況が生まれた。煽り報道が受け入れられやすく、また検証なく発信されやすい状況になった。
さらに放射能という分野は一般の人にも、メディア関係者の大半にとってもなじみの薄い分野だ。各メディア内部と執筆者の不勉強、そして受け手の知識不足が、不正確な情報を流通させた。
そこに現在のメディア事情が重なる。今のメディアは紙から電波媒体まで、売り上げの伸び悩みに直面している。センセーショナルな言葉を使って売りたい、目立ちたいという衝動が、言葉を過激化させていったのだろう。
一つの例証がある。放射能について過激な言説を発表し続けた、ある環境雑誌の経営者・編集長と、話し合ったことがある。この人は反原発を掲げていた。そこに福島第一原発事故に直面した。原子炉建屋の水素爆発の映像、そして福島の状況に大変な衝撃を受けたようだ。その結果、反原発の行動がかたくなになってしまい、「福島に人は住めない」という過激な言葉やバズビー氏とECRRの情報を拡散した。
「なぜ不正確な情報を広げるのか。結局は信用を落としてあなたは損をする。放射能の健康被害と原発の是非は分けるべきだ」と筆者は話した。しかし、この人は「国が信じられない」「可能性があるなら危険性を報じるべきだ」「原発推進派を利する情報は出さない」と繰り返す一方だった。
残念ながらこの雑誌は放射能の危険マニアの集うクローズした世界になって売り上げも伸び悩んでいるようだ。この社長と活動に敬意を持っていたが、筆者はそこから遠ざかった。
この人は「脱原発」という自分の価値観、さらには恐怖感で放射能問題を捉えようとしている。一方で多くの人は、科学的事実に基づき議論を進めようとする。残念ながら議論の土俵が違っている。
このように放射能をめぐる議論では、対話する人の意識の「ずれ」が非常に多い。
煽りが恐怖拡散の一因に
事実から遊離し、感情を中心にした煽り報道は、混乱を社会に生む。さらには、人権侵害、差別、風評被害という悪しき影響を与える。煽り報道がどのような悪影響を与えているのか。大規模な調査は少ない。
慶応義塾大学のパネルデータ解析センターが今年2月に発表した約3100世帯の調査では、原発事故・放射能汚染への恐怖・不安感は、震災直後よりも3カ月後の昨年6月のほうが大きくなっている。
属性では、文系出身者や低所得層、非正規雇用者、無業者、未就学児がいる人、東北3県の居住者ほど、恐怖・不安を強く感じていた。また、原発・放射能汚染への恐怖・不安を感じる人ほど、睡眠不足やストレス増加を経験する傾向が強いこともわかった。恐怖や不安は、健康に影響を与えた可能性があるほか、買い溜めの助長など、購買行動へも影響したとみられるという。
もちろん、こうした調査だけで煽り報道に影響を受けやすい人々を理解したつもりになることは避けるべきだろう。より詳細な調査が必要だ。しかし「孤立した」「知識と自己学習能力が乏しく」「社会との接点や他者との連携が少なくネット情報に頼る」といった社会的な弱者が、煽り情報の犠牲者に陥りやすいことは確かだろう。
この傾向は筆者の見聞した事実にもあてはまる。筆者は横浜市に住む7人の0−8歳の子供を持つ母親たちに放射能問題の現状を説明したことがある。母親たちは冷静で、逆に筆者はお母さんと子供の世界で放射能問題がどのように受け止められているのかを聞いた。
7人は専業主婦から会社員までの30歳代の母親たちで保育園の保護者仲間だった。生活は安定している典型的な横浜の中流層だ。学歴は多様だが全員文系で、放射能の知識は皆無。主な情報収集手段は手軽であるためにネットの閲覧で、新聞、テレビはわずかだった。しかし、その結果集まる情報の洪水に、誰もが戸惑っていた。またネット情報を含めて各メディア、そして政府の情報は信頼していなかった。
相互に話し合う中で、「この情報はおかしい」「この人の言うことは変だ」と気づいた例が多くあったという。ただし子供がいるゆえに、「怖い」と絶叫する単純で危険を強調する情報が心に残ってしまうそうだ。
このグループの母親らは自分の情報解釈が子供のためにゆがむことを自己認識していた。「客観視できることは素晴らしいこと」と筆者が評価すると「冷静な人が集まった」と答えが返ってきた。母親のサークルは同じような性格、考えの人がグループを作る傾向があるそうだ。過激に心配する人は孤立しやすい人が多く「ある母親は、夫と別居して沖縄に引っ越しました」(母親の1人)という。
情報を取捨選択するのは、自己責任の問題かもしれない。しかし煽り報道に踊らされる人々を放置しておいてよいとは思えない。これらの人々は、私たちの同胞であり、巨視的な視点から見れば、日本という同じ運命共同体の仲間であるからだ。
放射能への恐怖が社会と経済に悪影響
そして煽り報道によって動かされた人々の行動は、社会に悪影響を与えてしまう。がれき処理の遅れ、被災地の除染と帰還の遅れは放射能についての過剰な恐怖感が背景にある。
4月時点で、事故を起こした福島第一原発の半径20キロ圏内の約11万人の県民が、政府の避難指示によって帰宅できない状況になっている。
昨年秋に試算された東京電力に関する経営・財務調査委員会報告によれば風評被害の金額は、数年間で1兆3000億円の巨額と推計されている。
岩手県・宮城県の「災害廃棄物」(がれき)の量は、それぞれ通常の11年分・19年分にも達している。政府が各地で分散して焼却を呼びかけた。それなのに受け入れが進まない。がれきから放射能が拡散するという、あり得ない懸念が広がっているためだ。
経済への悪影響も見逃せない。放射能への恐怖が脱原発の考えと結びついた。菅直人前首相などによる政治主導による無計画な原発検査の強化で、全国の原発の再稼動が難しくなった。
2011年の貿易収支は1980年以来、通年では31年ぶりの赤字に転落した。東日本大震災や世界経済の減速、歴史的な円高などを背景に輸出が減少した一方で、原子力発電を代替する火力発電向け液化天然ガスや原油などの輸入が急増。化石燃料の輸入費用は前年比で4兆4000億円も増加した。原発の再稼動が遅れ、夏場は全国的な電力不足に直面する可能性がある。
原発について、どのような意見を持っても自由であろう。しかし広がった混乱による社会と経済の損害は明らかに大きすぎる。混乱は「ノイジー・マイノリティ」(騒ぐ少数者)と呼ばれる人々の活動によってもたらされている。これらの人々の動きには、政党・政治活動が背景にある例も多い。
この種の活動が社会の少数であっても一定の人々に受け入れられ、正しい方向への転換に時間がかかっているのは、放射能への恐怖のためだろう。煽り報道、おかしな情報のもたらした恐怖は、社会を傷つけていくのだ。
チェルノブイリと福島の類似点
さらに恐怖は人々の健康にも影響を与える。1986年の旧ソ連(現ウクライナ)でのチェルノブイリ原発事故を振り返りたい。
ロシア政府は昨年「チェルノブイリ事故25年 ロシアにおけるその影響と後遺症の克服についての総括および展望1986〜2011」という総括報告書を発表した。それによると、放射能による死者は事故現場に居合わせた人50人以下とされている。それに加えて、汚染された牛乳などの乳製品を摂取して甲状腺がんとなった人の死亡者(10人程度とされる)以外、事故による放射能の影響が直接の原因になった死者は報告されていない。低線量被ばくによる健康被害は25年経過しても観察されていない。
チェルノブイリの周辺では、1980年代後半に年間5mSv以上の放射線量で強制退去命令が出た。これは日本の避難基準(年間20mSv)より厳しいものだった。当時のソ連経済は疲弊していたため、移住を強いられた人々のほとんどは失業し、政府の援助も受けられなかった。結果的に20万人が家を失った。ストレスによる自殺、妊娠中絶の増加も起こった。報告書の結論は次のように述べている。
「事故に続く25年の状況分析によって、放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といったチェルノブイリ事故による社会的・経済的影響のほうがはるかに大きな被害をもたらしていることが明らかになった」。
「チェルノブイリ事故の主な教訓の一つは、社会的・精神的要因の重要性が十分に評価されなかったことである(中略)この教訓は福島第一発電所の事故にとっても今日的なものだ」(翻訳はアゴラ研究所所有、東京大学准教授中川恵一氏の提供による)(記事のリンク)
福島で起こっていることも同じだ。放射線量はチェルノブイリよりはるかに低い。ところが政府は強制退去させた避難民を帰宅させない。放射能に関する正しい知識が普及せず恐怖が広がっている。混乱の源になるのは誤った情報だ。煽り報道は、被災者の帰宅を妨げ、ストレスを生み、風評被害を拡大して2次災害を作り出している。
混乱に向き合うために—情報の精査を
さすがにここまでひどい煽り報道が続くと、それに対する受け手からの批判も当然起こる。一般市民の大半は賢明で放送をしっかり観察している人が多い。
出版関係者がそろって言うところによれば、昨年秋ごろから、「放射能ものは売れない」状況になっている。情報のばかばかしさに、大半の人が気づいたのだろう。
また私の見聞した福島の人々の煽り報道への反応を紹介したい。ある公的団体は東京、朝日新聞の報道に不信感を示し、両社の取材には情報を出さなかったそうだ。「あんなデマ流す人たちに話したら、何書かれるか分かりませんから」。別の行政関係者は昨年話していた。「放射能デマの雑誌なんてばかばかしくて、福島では誰も買っていませんね。私たちの故郷を何だと思っているのでしょうか」。
当然の反応だろう。市民によるメディアへの「監視」「反撃」がどのように広がるのだろうか。「なぜ適切な情報を伝えなかったのか」と、残念な思いを持ちながら、筆者は注目している。
震災、原発事故から1年が経過し、社会は落ち着きを取り戻し始めている。そして福島200万人の同胞をはじめ、大半の人々は復興に取り組んでいる。そろそろ冷静に物事を考えるべきだ。
煽り報道を含めたジャーナリズムの玉石混淆は今後も続くだろう。私たちは、メディアを精査し、さらに監視して、時には「おかしい」と批判すること、また惑う人を時には説得する形で情報に向き合わなければならない。