牡鹿半島の漁師に漁船を贈る

昨日早朝のラジオ深夜便のインタビューにはちょっと感動した。(以下、記憶に残っている部分のみ以下記録します。)

ゲストは松野みえこさん(「牡鹿の海を未来へプロジェクト」代表)という女性。


松野さんの郷里である宮城県牡鹿半島鮎川浜石巻市)という漁師町の話。


311の津波でこの漁村が壊滅した。

津波の直後、牡鹿半島の浜では約1000体のご遺体が確認されている。


松野さんは小学校時代の同級生の安否をツイッターで確認しようとした。その同級生は漁師だった。一男一女の4人暮らし。

しばらくしてツイッター情報から生存していることがわかった。避難所にいた。

家族も無事だった。よかった。

命は助かった。

しかし、いつも明るかった彼の顔からは笑顔が消えていた・・・

彼の漁船はすべて流され新築の家も流された。漁師を続けることは不可能だ。

さらに、悲しいことには、震災の数ヶ月前に最愛のまだ幼い娘さんが腫瘍のため足の切断手術を受けたばかりだった。(流された家はその娘さんのためのバリアフリーの家だった。)

実は、震災当日、娘さんは仙台の病院に入院しておりお母さんは付き添っていたので津波被害に合わなかった。彼は、足とひき替えに娘と母親の命が助かったと考えるようにしているという話もいたましい。



松野さんは、震災後やっとその同級生と電話で話をすることができた。数十年ぶり。

そして、漁師を再開したいという彼の話に、

「船なら私がなんとかしてあげる」

と言ってしまった。


それから松野さんと彼女をなんとかして助けようとする無名の人々による数ヶ月にわたる奮闘が始まる。すべてインターネットとツイッターの呼びかけによる活動だ。

インターネットの力はすごい。

見ず知らずの人々がインターネットを介して一つの目的のために協力し合った。

合ったこともない人たち同士の善意の点と点が線になって結ばれていった。

紆余曲折の末、ある日ついに真鶴のある漁師さんから、中古の漁船をあげてもいいよというオファーがあった!

まだ現役の美しく使い込まれた漁船だから、中古でも1千万円くらいはするかもしれない。

舟の出航の際に真鶴の港に集まった人たちは、みんな初めて会う人たちばかりだったというのもおもしろい。


真鶴から宮城県牡鹿半島までこの漁船を廻航させるのも大変だった。津波による瓦礫を避けながらの航海を強いられたからだ。丸太や家の屋根がまだ浮遊している沿岸地帯を注意深く航行しなければならなかった。


そして無事に同級生のもとに待望の漁船が届けられた。

漁船使用認可のための手続が終わり、来年から漁をはじめることができるらしい。



感動的な話です。ラジオを聞きながら夜明け前の寝床のなかで泣いてしまったではないか。


(誰かこの話を絵本にしてくれないだろうか?)


この感動的な実話の中には、これからの世の中の望ましいあり方のヒントがあるのではないかと思った。

ボランティア活動はすばらしい、絆が大切だ・・などという話ではない。(もちろんすばらしい活動です)


近代以降の大きな歴史の流れでみると、

国際悪徳金融マフィアグループが牛耳る金融資本主義というものは、もうそろそろ崩壊する。あと5年ももたないかもしれない。

この詐欺的資本主義が崩壊したあとの世の中の望ましいあり方。

お金によって誘導される社会とは異なる別の社会。「貢献経済」という古くて新しい経世済民の社会。

金融資本主義経済→貢献経済、という大きな流れ。

お金で動く社会から人々の心(善意)で動く社会へ。



船井幸雄さんが予測するように、おそらく311をターニングポイントとして、世界がこの流れに劇的に変化していくのではないかと、弊ブログも予想しています。

ちょっと考えが甘いか・・・


以下は真鶴の漁港から宮城県に向けて出港するときの写真。(真ん中の子供を抱いている女性が松野みえこさん。)



【参照】
ラジオ深夜便
明日へのことば 「インターネットの絆で被災地に船を」
ゲスト:松野みえこさん(「牡鹿の海を未来へプロジェクト」代表)
放送日時:12月27日(火)午前4時台(26日(月)深夜)
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/600/