ブラジル事情


今日会ったブラジルの弁理士(女性)の話も含めて、以下自分用ブラジルメモ。

●米国が国家破綻してもブラジルはそれほど影響は受けないだろう。ブラジルのインフレはもう収まっているし、経済的にも米国から独立している。

●今年の1月に就任した女性大統領ジルマ・ルセフ(63)は有能らしい。

以下、産経ニュースから:
ブラジル新大統領は「女性政治家として後世に名を残す存在に」と麻生元首相(政府特使)

 政府特使としてブラジル大統領就任式に出席した麻生太郎元首相が2日、産経新聞のインタビューに応じた。一問一答は次の通り。(ブラジリア 松尾理也)

 −−新大統領の印象は

 「ルセフ大統領は以前から知っているが、優秀な行政官から政治家に急激に変化・成長しつつあるという印象だ。女性政治家として、後世に名を残す存在になるかもしれない」

 −−ブラジルの勢いをどうみる

 「世界の主要国として確固たる地位を占めたという自信が感じられる。成熟した民主主義国家であり、貧富の差を縮めることにも成功したのは、驚くべき業績だ」

 −−日本とブラジルの関係はどうあるべきか

 「BRICsの中で、日本は中国に目を向けすぎているきらいがある。ブラジルは親日で、かつ資源を持っている国。日本はもっと目を向けて当然だ」

http://sankei.jp.msn.com/world/america/110102/amr1101022152008-n1.htm


●米国にとってブラジルはbackyard feeling の位置づけ。都合良く利用できる国といったようなニュアンス。ブラジル国民は米国に良い感情はもっていない。

BRICSがこれから成長するとしても(おそらくそうだろう)、これらの国々をまとめたり一体的にオーガナイズするのは容易ではない。個性が違いすぎる。


●エネルギー問題
原発は現在3基目が建設予定。しかし水力やバイオエネルギーが比較的豊富。エネルギー問題で困ることはないだろう。

ウィキペディアより>
ペトロブラスは、1953年に経済的独立のための国営企業として成立した。その後民営化プロセスに成功し、企業は急拡大し、カナダのオイルメジャーを買収。欧米のオイルメジャーと張り合える存在となっている。ペトロブラスには、深海での石油開発能力、技術力において他メジャーよりも先行しており、未開発な箇所が多い深海油田をめぐり優位な立場で開発をおこなうと見られる。他、サトウキビ栽培によるバイオエタノール生産では2007年現在唯一、内需より生産量に余裕があり、輸出を行える状況にある。バイオエタノールの世界市場において、ブラジルが占める割合は7割以上に達する。エネルギー資源の確保について世界的に問題が深刻化するであろう今後、ブラジルのエネルギー市場での存在感が2000年代初頭より、急激に大きくなっている。
ブラジルは水資源が豊富なので、水力発電が占める割合は大きい。パラグアイと共同建設した同国国境地帯のパラナ川流域に位置する世界最大のイタイプー・ダムから電力を買っている他、国内各地にダムがある。

●ブラジルの言語
公用語ポルトガル語(ブラジル・ポルトガル語)であり、ブラジル生まれの国民のほとんどにとっての母語でもある。ただし、ブラジルで使われるポルトガル語は語彙の面でアフリカやインディオの影響を強く受けているため、ブラジル・ポルトガル語と言われるほど本国ポルトガルポルトガル語とは異なっている。しかし、日本はポルトガル語圏諸国の中ではブラジルとの交流関係が圧倒的に多いため、あえてポルトガルポルトガル語と特記されていない限り、日本国内の語学教科書や語学講座で教えられているポルトガル語はブラジル・ポルトガル語であると考えて差し支えない。
1940年代のヴァルガス時代にブラジルのポルトガル語をブラジル語と呼ぶべきか否かを巡ってブラジル語論争があったが、結局ブラジル語なるものは存在せずに、ブラジルの言葉はポルトガル語の方言であることが確認された。ただし、ナショナリズムの観点からブラジル語という言葉を用いるブラジル人は今でも存在する。

●ブラジル音楽
ブラジルの音楽はトゥピー・グアラニー系のインディオアンゴラ、ナイジェリアをはじめとするアフリカ、ポルトガルやその他ヨーロッパの伝統が混じりあって発展した。したがってブラジルにおける音楽的文化は非常に高く、貧富の差を問わず多くの国民が音楽を好む傾向にある。また、それらの複合的なメロディーと独特なリズムやハーモニーの要素から、古くより世界的に高い評価を得ている。日本でも他の地域のワールドミュージック愛好者に比べれば、ブラジル音楽を愛好する人は非常に多い。
主な音楽のジャンルとしては、日本でも一般に知られるサンバやボサノヴァに加え、インストルメンタルではアメリカのジャズよりも古い歴史を持つといわれるショーロ、ポピュラー音楽であるMPB、あるいはフォホーをはじめとするノルデステ(北東部の音楽)、バイーアのアシェーなどが挙げられる。
ただし、ブラジルの若い世代は、こうしたブラジル音楽よりも、欧米のロックやポップス、ブレーガ(ブラジルの俗謡)を好む人も多い。また近年ではCSSのように世界的に人気を集める若い世代のバンドも現れている。
ブラジル音楽では、サンバなどで使われるパンデイロやスルド、タンボリン、ビリンバウなどブラジルで発展・発明された楽器が多い。このためパーカッションが比較的に多用される傾向があるため、ブラジルは打楽器の強い国、あるいは他の楽器が弱い国と思われやすい。しかし音楽自体が盛んな国であるため、ピアノ、あるいはヴィオラゥンやカヴァキーニョなどの弦楽器、フルートやオーボエなどの管楽器などもよく演奏される。また歌手や声楽家なども多く、有能な人材を世界に送り出している。
また、ポピュラー音楽のみならず、クラシック音楽やジャズの分野においても重要な音楽家を輩出しており、著名な音楽家としては19世紀に活躍したオペラ作曲家のカルロス・ゴーメスや、『ブラジル風バッハ』などで知られるエイトル・ヴィラ=ローボス、エルネスト・ナザレーといった作曲家のほか、演奏者としてはアサド兄弟などのギター奏者も世界的に知られている。

ボサノヴァ
なつかしいアストラッド・ジルベルトイパネマの娘
The Girl From Ipanema by Astrud Gilberto
http://www.youtube.com/watch?v=3jrJ5mcCshw&feature=related



スタン・ゲッツとのコラボもある。
Stan Getz / Astrud Gilberto - Corcovado
http://www.youtube.com/watch?v=DMX6E68qJAg&feature=related

アストラッド・ジルベルトの旦那さんのジョアン・ジルベルト
Joao Gilberto - Garota de Ipanema (junto a Tom Jobim) http://www.youtube.com/watch?v=DSJ5xZci9mI&feature=related

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1963年には、ジョアン・ジルベルトアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』が制作され、アメリカで大ヒット、特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」を浸透させた(しかしこのアルバムのためにアメリカの大衆は「ボサノヴァはゲッツの創始になるもの」「ボサノヴァを代表する歌手はアストラッド」という極端な誤解をしてしまったともいう)。この時期には、キャノンボール・アダレイポール・ウィンター等のジャズ・ミュージシャンも、ボサノヴァに特化したアルバムを発表している。

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●ブラジル科学技術
20世紀の間ブラジルは基礎研究や先端技術では欧米諸国に遅れを取ってしまったが、それでもライト兄弟と同様に飛行機開発のパイオニアだったアルベルト・サントス・ドゥモンのように、科学技術の発展に大きな貢献をもたらした技術者が存在し、近年では1970年代から進められた燃料用エタノールの研究により、この分野では世界的なパイオニアとなっている。
人文科学や社会科学においても、「人種民主主義論」を打ち出し、文化相対主義的な立場からアフリカ系ブラジル人とブラジルのナショナリズムを結びつけた人類学者ジルベルト・フレイレや、アンドレ・グンダー・フランク以来停滞していた従属論経済学を用いて、第三世界の経済発展のあり方を模索した経済学者フェルナンド・エンリケ・カルドーゾや、第三世界の識字教育に大きな貢献をもたらし、「エンパワメント」などの概念を発達させた教育学者パウロフレイレなどがブラジル出身の世界的に有名な学者として挙げられる。

●日系移民者の貢献
かつて日本人が農業移民としてブラジルに入植して以来、日本人は「農業の神様」と呼ばれ、現在に至るまでブラジル社会における日系ブラジル人の高いステータスを確保する重要な礎になっている。ブラジルの首都ブラジリアが建設された際には、首都建設に必要な食料生産を日系人に任せる目的で、当時の政府はブラジリア周辺に日系人を入植させた。日本人の農業を通じたこうした功績に対し、ブラジリア建設40周年記念式典の際には、日系人に対して連邦区知事から特別に感謝の言葉が述べられた。
果実生産も日本の経済協力を契機に盛んになっており、特に南部サンタ・カタリーナ州におけるリンゴ栽培等への協力は、ブラジルにおける日本のプレゼンス向上に大いに役立った。リンゴ栽培に関するブラジル側研究施設の所長に日系人が抜擢されたこともある上、同協力に殉じた日本人研究者の胸像まで設置されているなど、日本の農業協力の一つの象徴として位置付けられる。また、2005年9月29日解禁のマンゴーの対日輸出は、両国政府の間で20年以上に渡る懸案となっていたものである。

【参照】ブラジルの概要は以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB#.E9.9F.B3.E6.A5.BD