- 作者: 赤坂憲雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/06/26
- メディア: 単行本
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20年ほど前に池袋西武が主宰する連続レクチャーで赤坂憲雄氏の講義を聴いたことがあったことを思い出した。そのころ赤坂氏の「異人論序説」に夢中になっていた。講義の後に赤坂氏と喫茶店で話をした。学者というよりも純朴な学生のような雰囲気の人だった。
岡本太郎は芸術家である前に、すぐれた民族学者であり思想家であった。
赤坂氏はこの本のあとがきに書いている。「正直に書いておけば、わたしはまるで、岡本太郎という人にたいして興味がなかったのです。」と。
ぼくも岡本太郎に対しては、グロテスクな絵や彫刻ばかりのアヴァンギャルド気取りの変なおじさん、くらいにしか思っていなかった。目をむき出して「芸術は爆発だ!」とか「グラスの底に顔があったっていいじゃないか!」には、おもしろいけど知性のかけらも感じていなかった。
しかし、この本を読んで岡本太郎に対する見方が180度変わった。大好きになりそう。
岡本太郎はすぐれた民族学者だったのだ。1930年19歳のときに単身パリに渡り、1940年のナチスドイツによるパリ陥落まで10年間、当時の最もすぐれた民族学者マルセル・モース教授のもとで民族学を学んだ。そして、レヴィ=ストロースやロジェ・カイヨワやクロソウスキーらと交わった。極めつけは、バタイユとかなり親密な交流があったこと。バタイユからの影響は大きかった。濃かった。そうだったのか。岡本太郎はモースの民族学(贈与論)とバタイユの供犠論にその思想が培われたのだった。