まず、総理から前線へ。

今朝のNHK番組「あの人に逢いたい」で昨年亡くなった天野祐吉さんの思い出をやっていた。ラジオ深夜便の「隠居大学」はときどき聴いていた。

的確なタイミングでツボにはまった「ヤジ」を飛ばすことに生涯をささげた天野祐吉さん。昨年80歳で亡くなった。


天野さんが主宰されていた「広告批評」に掲載されたこの反戦広告は今まさにツボにはまっている。30年前の広告とは思えない。(デザイン:浅葉克己/コピー:糸井重里

まず、総理から前線へ。
ついでに、石原珍太郎も一緒にどうぞ。


http://amano.blog.so-net.ne.jp/2008-01-14
むかし、「広告批評」の編集長をしていたころ、日本の代表的な広告制作者の人たちに、「反戦広告をつくってみてください」とお願いしたことがあります。これは、そのときにつくってもらった十数点の中のひとつです。(広告批評1982年6月号所収)
コピーは糸井重里さん、デザインは浅葉克己さん。26年後のいま見ても、ちっとも古く感じないところがすごい。それどころか、憲法(9条)改定が大きな問題になっているいまこそ、こういう広告がモノを言うんじゃないかという気がします。
それにしても、こういう広告をつくるのはむずかしい。これにくらべたら、戦争を進める広告をつくるのは簡単です。恐怖心や敵愾心を煽ればいいんですから。「戦争を売るのはやさしいが、平和を売るのはむずかしい」と、亡くなった哲学者の久野収さんも、よく言っていました。
 
ところで、糸井さんはこのとき、もうひとつキャッチコピーを書いてくれました。
「とにかく死ぬのヤだもんね。」
というんです。
「まず、総理から前線へ。」もいいし、そのほうが多くの人に届きやすいとは思いますが、ぼくはどっちかと言うと、「とにかく死ぬのヤだもんね。」のほうが好きです。
もっとも、人はそれぞれで、当時このコピーを見た社会党のある人は、こう言いました。
「面白いけど、“とにかく”というのにひっかかりますね。これだと、病気で死ぬのも交通事故で死ぬのも含まれちゃう。やっぱり、“戦争で死ぬのはいやだ”と、はっきり限定すべきでしょう」
人はそれぞれとは言え、これには驚きましたね。とかく政治家には、頭がいいのに、表現というものがわからない人が多い。このコピーのいいところは、「とにかく」という一語にあるんですね。「病気や交通事故で死ぬのはいいけど、戦争で死ぬのはいやだ」なんて、フツーの人は死因を分けてなんか考えない。分けて考えるのはリクツってもんでしょう。とにかく、死ぬのはヤなんです。当然、「戦争」で死ぬのもその中に含まれる。それでいいじゃないですか。だいたい、反戦で頭がいっぱいになっている人には、こういう広告は必要ない。こういう広告を見てほしいのは、フツーの人たちなんですから。
それに、この広告は、病院や警察が出すわけじゃありません。反戦を訴える市民団体みたいなところが出すわけですから、戦争で死ぬのはヤだと言ってるくらい、誰にだってわかる。それなのに、コチコチの頭でリクツをこねる人がいるんです。そういう人って、とにかくヤだもんね。

●今は亡き天野祐吉さんのブログ
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