311虐殺事件から半年が経過した。
RKブログの「みかんねえね」さんのコメントを読み、津波兵器による311無差別虐殺事件のむごさをあらためて思い起こされた。
<転載開始>
「ママは最期まで母親だった」
311の日、35才の母親は4人の子供を車に乗せ、走っていた。
3才、6才、10才、14才。
14才の子は助手席だった。
信号は渋滞。しかし津波が迫っていた。
助手席の14才の子供に逃げるようにと叫び、その子を転がすように外へ出した。
母親は、3才と6才を連れて外へ脱出することは不可能だと思ったのだろう。津波を避けようと横道に曲がった。
しかし津波はそこに押し寄せてきた。
10才の子は、窓から外へ放り出され、離れたところで遺体で見つかった。
母親は、後部座席に体をねじり、手を差し伸べ、目を開けたままの状態で見つかったそうです。
3才と6才の我が子に手を差し伸べ、守るように。
14才の子は父親に言った。
「ママはね、最期まで母親だったよ」と。
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