島村英紀氏の研究10:30

ネット上の様々な情報から取捨選択して人工地震・誘発地震の可能性について探る。まず、島村英紀氏の研究。

島村英紀氏は、人工地震・誘発の研究者であり、この分野の世界的権威らしい。島村英紀氏はもともと北大の地震研究者として日本でトップクラスの優秀な学者であったが、信憑性の低い汚職事件に巻き込まれてしまって大学研究の世界から追放されてしまった人物である。島村先生は、国際的に信用されていた学者でもあり、当局にとっていろいろと都合が悪かった人物だったのだろう。

その島村英紀氏が人工地震の可能性について以下のサイトで世界各地過去に起こった人工地震の事例を解説している。
(人間が起こした地震
http://shima3.fc2web.com/sekou9701damzisin.htm

要するに、地殻や岩盤に対する水の注入等によって地震が誘発される事例が多く認められるということだ。こんな事ははじめて聞いた。驚いた。地震はマグマの活動によって地殻の断層がずれることによって生じると思っていたけれど、過去において世界各地に誘発地震の事例がたくさんあるのですね。

日本の地震学会では、人工地震もしくは誘発地震(英語で induced seismicityという)の研究はタブーになっている。

ここでは中越地震や神戸大震災についても言及している。この部分だけでも引用しておこう。

(以下部分転載)

                                      • -

 2004年に起きた新潟中越地震の震央から約20kmしか離れていないところに天然ガス田(南長岡ガス田)があり、地下4,500mのところに高圧の水を注入して岩を破砕していた。
 坑井を「刺激」するために、深い井戸を通じて油ガス層に人為的な刺激を与え、坑井近傍の浸透性を改善することにより生産性を高めるために行われているものだ。 地下4,500m付近に分布する浸透性が低い緑色凝灰岩層に対して「水圧破砕法」を使って岩にひび割れを入れ、生産性を8倍も増加することに成功したと言われている。
 新潟中越地震震源の分布図(東京大学地震研究所)によれば、余震分布の上限は4,000m程度、本震(ここでいう本震は地震断層の「壊れはじめ」で、本震そのものは余震域全体に拡がっていたと地震学では考えられている)の深さは13kmだから、震源に極めて近いところで「作業」をしていたことになる。
 南長岡ガス田1984年に生産を開始していたが、21世紀になってから 「水圧破砕法」を使い始めていた。
 それだけではない。ここでは、経済産業省の外郭団体である地球環境産業技術研究機構が主体となって、2003年から、新潟県長岡市の地下約1100mに二酸化炭素を圧入する実証実験をやっていた。大量の二酸化炭素を地中に圧入する「実験」が行われていたのである。
 地球温暖化の元凶である二酸化炭素を将来、大量に処理するための実証実験だった。二酸化炭素の回収技術は、肥料生産工場などですで実用化されている。また、地中貯留は、石油掘削技術や、天然ガスの地下貯蔵や石油増進回収(EOR)等で蓄積された技術があり、それを二酸化炭素の圧入・貯留に応用できる、という意味で工学的には実用的な技術として期待されているのだ。
 圧入は2003年7月7日に開始、その年度は20トン/日で、2004年度は40トン/日で圧入した。その後、二酸化炭素供給工場の定期点検・整備や二酸化炭素の供給逼迫期の圧入休止、それに新潟県中越地震による圧入中断(2004.10.23〜12.6)はあったものの、2005年1月に実験を完了した。1日に20〜40t、約1年半かけて、合計10,405トンもの大量の二酸化炭素を地下深部に圧入したことになる。
 圧入された深さは1100mだが、背斜構造になっている、いちばん上部の場所だから、地層としては、ずっと深いところまで連続している地層である。簡単に言えば、液体を通さない層(キャップロック)が傘のようにある、その頂上部の内側に、圧入したことになる。
 また、圧入した地層は、岩相から大きく5つのゾーンに区分されていたが、そのうちの浸透性が最も良好なZone-2(層厚約12m)を圧入する対象として選んでいた。つまり、圧入した二酸化炭素が、もっとも遠くまで行きやすい層を選んでいたわけだ。圧入された二酸化炭素は、「傘」の内側に沿って、下の遠くに運ばれていったに違いない。
 なお、実験が終わったいまは、地上設備も撤去されている。
 この実験期日からいえば、実験開始から1年後に新潟中越地震が発生したことになる。この圧入井戸は震源(壊れはじめの地点)から20kmしか離れておらず、地震学的には、ほとんど震源の拡がりの中にある。
 さて、そうなると冒頭の小田実さんの怒りも「邪推」として退けていいか心配になってくる。阪神淡路大震災の少し前に工事をしていた明石海峡大橋では、主橋脚のひとつを海中で作っていた。海底に穴を開け、岩盤をさらに掘り進んで橋脚の基礎を作っていたはずだからである。 橋脚は兵庫県南部地震阪神淡路大震災)を起こした野島断層から決して遠いところではなかった。

                                        • -

(引用終わり)

当局の圧力によって、この島村先生のサイトは近いうちに閉鎖されるかもしれないので、是非とも今のうちにコピーをとっておかれることをお勧めします(+_+;)\パコッ!