マリス博士はPCRを開発したことによって1992年にノーベル賞をもらっている。
しかし、コロナ騒ぎが起きる前の昨年の8月に突然亡くなっている。他殺説もあるとか。
重要なことは、生前、マリス博士は「PCR検査を感染症の診断に使ってはならない」と警告していたということ。
この警告を無視するかのように、世界は「奇想天外」なことになってしまっております。
以下、ソエ爺の重たい掲示板より。
[2637]『マリス博士の奇想天外な人生』とコロナ騒動
投稿者:片岡裕晴(かたおか のぶはる)
投稿日:2020-09-22 06:51:42『マリス博士の奇想天外な人生』(早川書房)という興味深い本を読み次々と想像(妄想)を膨らませてみました。
マリス博士はPCR検査(Polymerase Chain Reaction)の発明者でその功績により1993年のノーベル化学賞を獲得した人です。
恐らく多くの人にとっては「PCR検査」という言葉は今年の2月に横浜港に戻ってきたクルーズ船の乗客がコロナウイルスによって感染し発病したというニュースがテレビで報道されるようになったころ初めて聞いた言葉ではないかと思います。
今では毎日のように耳にし、小学生でも知っている「PCR検査」、どのような検査なのか具体的には、つい最近まで私は全く知りませんでした。(その後、以下に紹介する大橋眞先生のYouTube動画を何十本も観ることによって、おぼろげながらではありますがイメージを掴むことが出来ました)
この『マリス博士の奇想天外な人生』はマリス博士の自著で1998年に出版されました。日本語訳は2000年に単行本として早川書房から出版されました。
そして現在、この本の題名にあるごとく「奇想天外」な展開が世界中で繰り広げられていると私は思っています。
昨年(2019年)8月マリス博士は突然亡くなりました。(殺害されたともいわれています)
生前、博士はPCR検査を感染症の診断に使ってはならないと警告していました。
そして2019年の秋から冬にかけて、中国の武漢で謎の感染症が流行しました。その感染症の陽性判定にPCR検査が使われています。
この本の中に「エイズの真相」という一章があって、40年前突然流行したエイズと今回の新型コロナウイルス騒動の展開の構図が余りにも類似しているので私は驚いています。
博士の突然の死と感染症の流行、エイズとワクチンをめぐる疑惑・・・・・コロナウイルスとワクチンの開発競争。
まるで推理小説の謎を解くような奇想天外な結末が待っているような予感がします。 (笑)
意図的に編集されたテレビの映像によってパニックが引き起こされ、たった半年の間に人々の生活はすっかり変わってしまったことに、あらためて驚きを感じます。今では電車に乗るときも、スーパーマーケットに買い物をするときもマスクなしでは白い目で見られるようになりました。
先日、あるコンサートに行った人によると、スマホにCOCOA(新型コロナウイルス接触感染アプリ)が入っているかのチェックを受け、入っていない人はその場でインストールを要請(命令?)されたということです。(エッ!ということは、そもそもスマホを持っていないとコンサートホールに入れないの?)
このコロナ騒動がどのように落し前を付けて世界中が納得出来る状況を作れるのか、それとも描かれた(誰によって?)デザインの中に押し込められて納得させられてしまうのか、実に興味深い展開が今後も続いて行くのです。
次に紹介する講演会は「納得出来る状況を我々が作るのか、それとも納得させられてしまうのか」の瀬戸際で闘っている人々の数ある運動の一つであると私は思っています。
8月24日、永田町の参議院議員会館の小ホールで行われた大橋眞先生(おおはし まこと 徳島大学名誉教授)の講演会に参加しました。
免疫学者大橋教授は新型コロナウイルス(新コロ)の恐怖をあおるマスコミを批判し、PCR検査の問題点を指摘する立場から論陣を張っておられる方です。
この講演会では非常に驚いたことが、二つありました。
驚いたことの一つ目は、開演間際に私は会場に着きましたが、中に入って既に300人以上集まった聴衆を見るとマスクを着けている人が誰も居なかったのです。(後で目視で確認したところでは僅か3名がつけていました)
会場に来るまでの地下鉄でも暑い歩道を歩いて来る時も、ほぼ全ての人がマスク姿であったのに、この会場はまるで別世界と思うような光景でした。
しかし考えてみれば、これが当たり前のことで真夏にマスクなど着けている方が可笑しいのに、いつの間にか常識が逆転していたようです。
ところが、この会場に限って、マスクをつけることを拒否する人が300人もいたことに、私は何となくほっとし安心しました。
驚いたことの2つ目は、この講演会は3部で構成されていて、第3部は質問コーナとなっていましたが、司会者が質問者を指名しようとした途端、会場から勢いよく発声を伴い一斉に挙手する人々(中には立ち上がって指名を求める人も何人かいて)が30人以上いたのです。とても活発なそして熱気にあふれた会場であったということです。
それにしても、このように熱気あふれる集会は、いつか見たことがあるなぁー と思い巡らせていたら・・・思い出した!
それは50年も昔の大学闘争が始まったばかりのごく初期の学生集会。そこには学生自治会の議長がいて、一定の秩序があり、活発な意見交換がなされていた、非常に真面目な集会でした。(しかし、やがてはこれらの有意義な議論は暴力によってすべて消え去って行ったのですが・・・)
大橋先生の講演会「コロナウイルスの真相」の質問コーナーも非常に活発で熱心な質問が飛び交い、予定時間を一時間以上超過したように思いました。
質問者の意見は私の見たところ、①純粋にコロナウイルスやこの騒動について詳しく知りたいという人達(8割近く)、②行政が行うコロナ危機対策に不満がありそれに対抗する政治活動を目指している人達、③一般からはかなり浮いた極端で過激な陰謀論を展開し自説を述べ警告したい人達の3つのグループに分けることが出来ました。
しかし、どの人たちも大橋先生の静かに語る言葉に科学者らしい説得力を感じて、満足して聞いていたように思いました。
大橋眞先生のYouTube動画サイト「学びラウンジ」 (マリス博士の遺言について語った動画も数本あります)
↓ ↓ ↓https://www.youtube.com/user/ias1ohashi/videos
現在(9月22日)120本以上の「新コロ」関係の動画がありますが、YouTube側の判断(どのような基準?)により既に何本かの動画が削除されています。
上にも書きましたが、コンサートホールに入るのにスマホに「新コロ」接触感染アプリが入っていないと入場できないという事態にまで状況が出来上がりつつあります。
この先「新コロ」ワクチンが完成すると、ワクチンの接種が薦められ、接種した人には「証明書」が発行され、「証明書」がないと買い物もできず、電車にも乗れないという様な状況が作られないとも限りません。
今後どのような状況が出現して行くのか、じっくりと観察したいと思います。
2020年9月22日投稿
2000年の松岡正剛さんによる書評がおもしろい。
何がディープかとえば、深く女性とつきあっているという意味もあるが、人間の深部を決定している遺伝子につきあう化学者なのだ。マリスの本職はDNAを読むことなのである。
DNAの長さの単位はヌクレオチドで数える。人間のDNAは30億ヌクレオチドある。
これを読むのがいわゆるヒトゲノム計画であるが、この気が遠くなるような仕事にはいくつもの“編集技法”が必要だった。そして、多くの研究者や技術者がその“編集技法”に挑戦し、倒れてきた。
マリスはオリゴヌクレオチドに目をつけた。オリゴヌクレオチドはDNAのごく短い一断片のことで、これを実験室で合成しておいて長いDNAとまぜると、そこに特別の配列をさがしだすことができる。そしてこの作業をうまくくりかえすと、とんでもない成果が得られる。
これは、わかりやすくいえばDNAの二重螺旋がポジとネガでできていることを利用して、ソーティングとコピーを同時に実現してしまおうというもので、PCRとよばれている。
PCRはポリメラーゼ連鎖反応の略号で、これこそマリスが発見したバイオテクノロジーなのである。人間のDNAが30億ヌクレオチドであるとは、最近はやりの言葉でいうと、ヒトゲノムは30億個の文字列でできているということになる。
どのくらいのものかというと、1ページに1000文字が入る1000ページの本があるとして、それがざっと3000冊になる。だいたいドストエフスキーの『罪と罰』くらいの本が3000冊ほどたたまれて入っているとおもえばいいだろう。
そのすべてをソーティング(検索)するには、一つの文字列を特定するだけで10億ものDNAコピーをつくる必要がある。PCRはそれらを一瞬にやってのける編集技法であった。こうしてマリスはPCRを開発し、1992年にノーベル賞をもらい、一躍有名になったのだが、それからがいけない。いや、おもしろい。
ホンダ・インテグラを買ったのはどうでもよい。離婚と結婚をくりかえすのもどうでもよい。超常現象やLSDやエンドルフィンで遊んだころの話をするのも、とくにおもしろくない。
この男マリスがおもしろいのは、エイズの議論や科学者のありかたや環境保護運動に関して、かなり言いたいことを言うという人生を始めたことである。
エイズについてはHIVが原因であるとは断定できないと言う。科学者のありかたについては官僚のかかわり方と資金配分を変えないかぎり、新たな科学の成果は期待できないと断言する。もっとおもしろいのは、環境保護運動に対する痛烈な疑問をいつも言いはっていることだ。
地球環境というものはつねに変化することが特徴なのに、その変化に文句をつけて何になるのかという疑問である。だからこんな運動にお金を出す必要はないだろうというのだ。
ともかくも、あやしい化学者なのである。