911偽旗テロにパターンが似ているパリ偽旗テロ

パリテロ事件のこれまで展開を見ていると、先日のパリ偽旗テロ事件は2001年の911のときとパターンが酷似しています。

偽旗テロ→「テロとの戦争!」プロパガンダ→当該国への攻撃と破壊

アルカイダがISに替わり、攻撃国がアフガン・イラクからシリアに替わっただけ?

以下、櫻井ジャーナルさんの分析記事。

●米好戦派が行ってきた「テロとの戦争」は「テロリストを使った戦争」で、露国登場までは成功
http://blogs.yahoo.co.jp/ryuubufan/68448639.html
アメリカ大統領だったジョージ・W・ブッシュは2001年9月20日、テレビを通じて行われた演説の中で「テロとの戦争」という用語を口にした。その「テロとの戦争」はロシアが登場して「テロリスト」を攻撃するまでは所期の目的を達することができていたと言うべきだろう。発言の直後から「テロ」は戦術であり、戦術に勝つということは論理的に有り得ないと指摘されていたが、ブッシュ大統領はテロという戦術に勝とうとしたわけではない。
 ブッシュ大統領は「テロ」を口実にして国内をファシズム化し、国外では軍事侵略、略奪、破壊を展開しようとしていた。実際、アフガニスタンからはじまり、イラクリビア、シリア、ウクライナといった国々を破壊することに成功している。今、アメリカの好戦派が直面している問題は戦争の拡大を防ごうとする国、彼らの目論見を阻止しようとする国が出現したことだ。

 約1年半にわたってアメリカが率いる国々はシリア領内で空爆を繰り返し、地上にも特殊部隊を潜入させていると言われている。IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を攻撃することが目的だとしているが、その間、ISは勢力を拡大してきた。しかもアメリカはシリア政府に要請されたわけでなく、国連の承認を得たわけでもばく勝手に攻撃しているだけ。つまり侵略行為にほかならない。こうしてみると「テロとの戦争」は失敗しているように見えるが、その目的はターゲット国の破壊と人びとの殺戮であり、好戦派の目的は達成されているのだ。

 歴史を振り返ると、第1次世界大戦の前、イギリスの支配層は意図的に危機を作りだして戦争を誘発、自分たちは漁夫の利を得るという戦略を立て、実行している。1917年3月にロシアで引き起こされた「二月革命」までは成功だったと言えるが、両面から攻められる状況を嫌ったドイツが平和を謳っていたボルシェビキの指導部をロシアへ運び、その結果として11月に「十月革命」が起こったのは想定外の出来事だっただろう。(ボルシェビキ嫌いの人びとは二月革命十月革命を強引に一体化させ、自分たちに都合の良いストーリーを描いている。)

 危機を作り出して自分たちの描くプランを実現するという意味で、1969年から80年にかけてイタリアで実行された「緊張戦略」も似ている。同国の情報機関を後ろ盾とするグループが極左の「赤い旅団」を装って爆弾攻撃を繰り返し、クーデターも計画していたのだ。「赤い旅団」を創設時代から率いていたリーダーは爆弾攻撃が始まる前に逮捕され、組織は乗っ取られていたとも言われている。

 本ブログでは何度も書いているように、NATOには破壊活動を目的とした「秘密部隊」がある。イタリアではグラディオと呼ばれ、背後には同国の情報機関、その背後にはアメリカのCIAが存在している。

 グラディオが実行した爆弾攻撃には、例えば、1973年12月にローマでパンナム機がロケット弾で撃墜されて32名が死亡した事件、74年5月にミラノ近くで開かれていた反ファシスト集会が爆破されて8名が死亡した事件、同年の8月にボローニャ近くで列車が爆破されて12名が死亡した事件、80年8月にボローニャ駅が爆破されて85名が死亡した事件などがある。

 こうした「爆弾テロ」を遙かに上回る攻撃が2001年9月11日にアメリカで引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。その直後、詳しい調査が行われないまま攻撃は「テロリスト」の「アル・カイダ」が行ったとブッシュ政権は断定、そのアル・カイダとは無関係のイラクを2003年に「テロとの戦争」の一環として先制攻撃している。

 しかし、アル・カイダなる武装集団は存在しない。1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」、つまりイスラム系傭兵のコンピュータ・ファイルだ。アル・カイダアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。

 アメリカの支配層がアフガニスタンでの秘密工作を始めたのはリチャード・ニクソン政権の時代。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめているのだ。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 1973年と言えば、ウォーターゲート事件ニクソン大統領で窮地に陥っていた。アフガニスタンでの秘密工作どころではなかっただろう。この年の10月には副大統領だったスピロ・アグニューが辞任している。汚職事件の捜査対象になったことが理由だった。後任の副大統領に選ばれたのはジェラルド・フォード下院議員だった。翌年8月にニクソンが辞任すると、このフォードが大統領に就任する。

 一般に「タカ派」と見られているニクソンだが、大統領時代には緊張緩和(デタント)を推進する姿勢を見せていた。そのニクソンが排除されたが、それだけでは終わらない。1975年11月にフォード大統領は政府高官の入れ替えを発表、デタント派の粛清を開始する。このときにジェームズ・シュレシンジャー国防長官も解任され、登場してきた人物がドナルド・ラムズフェルド。リチャード・チェイニー大統領副補佐官とともにラムズフェルドはこの粛清劇で中心的な役割を果たしたと言われている。この時にネオコンシオニストが台頭、イスラエルではリクードが勢力を拡大しはじめる。1976年1月にはCIA長官がウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代したことも大きかった。

 1976の大統領選挙でフォードを破ったのがジミー・カーター。1971年から75年までジョージア州知事を務めているが、その時にデイビッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキーが目をつけ、日米欧三極委員会に加えている。こうした経緯があるため、カーター政権では大統領より補佐官の方が力があり、外交や安全保障問題はブレジンスキーの戦略に基づいて動いていた。

 ブレジンスキーポーランドの貴族階級出身で、ロシア嫌いの好戦派。親が外交官だった関係で家族は1938年からカナダで生活を始め、本人は53年にハーバード大学で博士号を取得した。1959年にコロンビア大学へ移り、60年から89年まで教授として教えているが、教え子のひとりが後に国務長官としてユーゴスラビア攻撃を推進したマデリーン・オルブライト。1981年にコロンビア大学の3年へ編入しているバラク・オバマブレジンスキーの弟子だとされている。

 ブレジンスキーの戦略に基づいて1979年4月にCIAはイスラム武装勢力を編成、支援プログラムを開始、アル・カイダという戦闘員のリストも作成されることになわけだ。5月にはCIAイスタンブール支局長はパキスタンの情報機関ISIの仲介でアフガニスタンのリーダーたちと会談し(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991)、7月にカーター大統領はソ連アフガニスタンへ誘い込んで戦わせるという計画を承認している。アメリカ側の思惑通り、その年の12月にソ連の機甲部隊はアフガニスタンへ侵攻してくる。

 1979年7月には「テロとの戦争」を考える上で忘れてはならない会議がエルサレムで開かれている。参加したのはアメリカとイスラエルの情報機関につながる人脈。イスラエル側からは軍の情報機関で長官を務めた4名を含む多くの軍や情報機関の関係者が、またアメリカからはジョージ・H・W・ブッシュやレイ・クライン元CIA副長官など情報機関の関係者や「ジャーナリスト」のクレア・スターリングらが参加、それ以降、ソ連を「テロの黒幕」だとするキャンペーンが始まった。

 アフガニスタンではソ連が「テロリスト」として扱われ、イスラム武装勢力は「自由の戦士」と呼ばれる。現在、アル・カイダ武装集団やそこから派生したISをアメリカの好戦派は傭兵として使っているが、歴史を考えれば当然のことである。「テロとの戦争」とはアメリカの好戦派が「テロリストを操って戦う戦争」にほかならない。


しかし、今回はプーチン・ロシアが監視しているところが、ちょっと違う。

ryuubufanさんは、ここに希望を見出しているようです。

プーチンに期待したい。

●ISが促進する中露連合時代
http://blogs.yahoo.co.jp/ryuubufan/68448639.html

パリ偽旗テロが国際政治の舞台転換を決定的に促した。オランドはオバマプーチンを続けて訪問する事になった。ワシントンとモスクワを24日、26日と連続訪問である。ここまでISが派手な立ち回りをやってしまうと、全世界対ISという構図が誰の目にも明らかになり、ロシアと米欧の対IS協力が動かし難い方向となる。これは前々からプーチンが主張していた事である。米が受け付ける訳もないものであったが、米の子飼いのISがいい役割を果たしてくれた。まさかその事を分かった上でテロを行った訳じゃないだろうが、結果はそういう事であった。歴史の大波が米もISも飲み込んだという形である。

米は変な方向に追い込まれた。まだ自分のやり口に完全に鍵が掛かった訳じゃないだろうが、事実上不可能になった。何故なら国際協力の舞台の上でシリア侵略はやりようがない。IS空爆をアサド政府軍空爆にすり替える事をロシアの目の前でやれば、一挙に自分の手口の暴露になる。世界中が既に疑惑を持っている中で手品の種明かしをやる事は馬鹿でない限りできるものではない。自分がISの飼い主などと自白する筈もなく、米はどこまでも正義の味方の仮面を被り続ける事になる。本物の正義の味方プーチンと手を組まなければならない仮面の騎士米は、困った顔を隠しながら微笑を絶やさない風を装う。プーチンは内心ニヤニヤである。

プーチンにとって米欧に対して優位な立場を得た今回のテロ事件であるが、更に良い状況が出て来た。それは中国との軍事的関係の強化である。対ISに対する世界的協力体制が中露の軍事的協力体制構築に順風になる。プーチンは中国軍の高官との会談で、中露の協力体制が軍事にまで及んでいる事に対して非常に嬉しいと表現した。ロシア語でどう言ったかは知らないが、非常に嬉しいという表現は直訳だろう。プーチンの思いがストレートに伝わって来る。プーチンにとって米欧同盟と対決するには、軍事も含めた中露連合の結束が絶対条件である。それが見事に実現している訳であるから、心から嬉しいというのは間違いなく本心である。習近平と心が通じ合っている事が如何にプーチンを助けているか、この言葉によって窺い知れる。ISとの対決に世界の心が一致している事が中露の軍事同盟化に大きな力になる。米がテロ(自作だが)を口実に米軍の世界展開を正当化したように、今や中露連合がそれをやれる状況が出てきた。ISを持ち出せば以前なら憚られていた事も堂々と実行できるようになった。プーチンは今回のパリ偽旗テロ事件の最大の勝者である。ロシアはロシア機撃墜事件もISの爆弾テロと断定した。プーチンは犯人を地球のどこに隠れていても探し出すと言い切った。ISがプーチンの軍事的行動を正当化する。中露連合による対IS軍事行動が可能になって来た。ISがプーチンを人類規模で正義の味方にする。

パリ偽旗テロはプーチンを世界政治の主役の座につけた。米の支配体制の自爆であった。