人工地震説の検証(54)


核実験と余震(自然地震)の関係について。

検証(14)で紹介した大石真紀子女史(名古屋大学)の研究レポートをながめていたら、気になる記載があった。

地震学と核実験探知」(大石真紀子)
http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/STAFF/ando_new/lecture/M.Oishi.pdf

●核実験の後、自然地震が誘発される場合がある。
例:1968年12月の1.1Mt級の核実験の実施の後、中小の地震が数百個発生。最大余震はMs5.7であった。

ネバダ核実験場では、大規模の核実験後、地震が多発することが確認されている。

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つまり、地下核実験の際に地殻内部で核爆発を起こすと、その後に数多くの「余震」(つまり自然地震)が誘発される、ということ。今回の311後の余震の多さと関係あるか?


さらに、velvet morningさんのブログ↓が興味深い。


(以下、転載開始)

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http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2011/04/16/5809170

M7以上の巨大な地震と地下核実験の深い関係 ― 2011/04/16 15:25
1950年〜67年にM7以上の巨大な地震が多い理由はなぜか?

昨日の朝日新聞夕刊に、

地震学会において、リックアスター教授らのまとめで、地震計の計測記録がある1900年以降の世界の M7以上の約1700の地震記録を分析した。その結果「1950年〜67年」と「2004年以降」は、M7以上の大地震・巨大地震が統計的に多い時期であることがわかった。

1900年以降に起きた M9以上の超巨大地震は、1952年(カムチャッカ半島沖、M9.0)60年(チリ、M9.5)、64年(アラスカ、 M9.2)と
2004年(スマトラ島沖、M9.1)、10年(チリ、M8.8)、11年の東日本大震災(M9.0)など
以上引用終わり

と、出ていたのですが、地震学者の人とか地質学者の人は、地震の活動期があるとか、ないとか、プレートの動きがどうとか言うわけですけど、歴史や社会を研究しながら自然現象を見ている当ブログは、あることに気付きました!
それは、この大地震の活動期「1950年〜67年」というところです。

これは、朝鮮戦争が始まりベトナム戦争の間と重なります。つまり、どういうことか?というと、東西冷戦において、原爆や水爆の開発競争が起こり、地下核実験を盛んに行っていた時期と一致するということです。

地下核実験をすると、M7.0クラスの地震が起きますから、この時期に、大地震が多いのは、地震活動が活発になっているからでは無く、通常の地震に加えて地下核実験を沢山やっていたからでしょう。

原爆・水爆の実験は、人の居ない太平洋の小さな島とかでやってたわけですが、その中から第五福竜丸被爆事故のような事が起きて、被爆の危険性が世界中で叫ばれるようになり、核実験は地下でやるようになっていったのです。
ですから、この時期に大地震が多発するようになったのは必然だったでしょう。

中でも、カムチャッカとアラスカでM9以上の地震が起きている事に注目してください。

鋭い方なら、もうお分かりのように、カムチャッカソ連、アラスカはアメリカの領土ですが、最も人口が少なく、大都市からも離れているので、隠れて地下核実験するのには、最適な場所だったわけです。そこで巨大な地震が起きています。

そして、地下核実験が進むにつれて、段々地下核実験への風当たりが強くなってきたわけです。

で、どうしたか?というと、地震に見せかける地下核実験を研究して採用することになっていったようです。

これは、一つの爆発だと波形から核実験だということがバレバレなので、大小の爆薬を時間差でずらして起爆することにより、地震に見える自然な波形にしたということらしいです。

長野県北部に、第二次大戦末期、日本軍が本土最終決戦するための秘密の地下基地を作っていたのですが、これは松代の大本営と呼ばれています。

なぜ、その場所に作ったのか?というと、岩盤が極めて堅く、地震が少ない場所だったからですね。

この施設は終戦によって使用されずに終わりますが、戦後、気象庁によって地震観測の施設が出来ます。

これに目をつけたアメリカが、ソ連の地下核実験を観測するための装置を松代に作ります。

その途端に、今まで全く地震が起きなかった松代で群発地震が突然始まったのです。

以下引用
松代群発地震(まつしろぐんぱつじしん)は、長野県埴科郡松代町(現・長野市)付近で1965年(昭和40年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる群発地震である。震源地は皆神山付近。総地震数は71万1341回。このうち、有感地震は6万2826回(震度5:9回、震度4:48回、震度3:413回、震度2:4596回、震度1:5万6253回)を数えた。最大の地震はM5.4。群発地震全てのエネルギーは、M6.4に相当する。なお、書籍によっては松代地震と記しているものもある。皆神山は地震活動の前後で約1m隆起し付近には、「松代地震断層」が発見された。 wikipedia

地震がなぜ突然起きたのか?いまだによく分っていないそうですが、ソ連が地下核実験の存在を知られないために、なんかした。あるいは、実は地下核実験の存在を知るために計測したのではなく、地震のメカニズムの研究に利用されてた可能性とかも考えると、この地震は、よく理解出来るんじゃないかと思います。それはともかく

で、こういう地下核実験を繰り返すと、これが地震兵器として使えるんじゃないか?という考え方が、当然出てきますよね。

そのための実験も行われていたのです。

実際に、当時の新聞には、原爆を使った人口地震の記事が掲載されています。
そして1977年には、環境改変技術 敵対的使用禁止条約が結ばれるわけです。

これが、地震と原爆・水爆実験についての経緯です。

このように、チリはともかくとして、アラスカやカムチャッカのM9地震は、水爆の時間差爆発実験の結果起きたと、当ブログは考えます。

では、2004年以降に頻発している巨大地震は、何が原因か?ということが、問題になってきます。

つづく

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(引用終わり)