手仕事の日本

手仕事の日本 (岩波文庫)

手仕事の日本 (岩波文庫)

 伊藤徹の「作ることの哲学」で言及されていた柳宗悦(やなぎむねよし)を読んでみる。最近とみに老眼がひどくなってきたので文庫版ではなくワイド版を買う。
 柳宗悦は、日常の実用的な器物や道具たちに「美」を発見した日本で初めての人である。箒や湯飲みや土瓶のような日用雑器に「美」を見いだし、その美しさを指摘した人はそれまでいなかった。なぜか。「美」とはもっと高尚なものであって生活から離れた世界にこそあるものだと長い間信じられてきたからである。多くの人たちは、実用というと何か卑しいもののように考え、実用品を「不自由な芸術」と呼び、自由な美術を尊んだ時代においては「不自由」な工芸は軽く見られていた。日々の生活の中に取り込まれ生活とともに使用される日用雑器たちは、あまりにも身近にありすぎて対象化することすらされることがなかったからだ。
 柳はこのような風潮に敢然として立ち向かい、実用に束縛された日用品にこそ美しさがあると喝破した。美術品は実用に束縛されていない。よって、美術において人間は自由な発想によって美を表現することが可能である。しかし、と柳は言う。
 「人間の自由はとかく我が儘で、かえってこれがために自由が縛られることがしばしば起こります。それ故人間の自由に任せるものは、とかく過ちを犯しがちであります。人間は完全なものでないからであります。」
 一方、実用品は、用途に適うということがまずもって要請され、材料の性質に制約され、製造工程における手法にも服従しなければならない。柳は、「かかる不自由がさがあるために、かえって現れてくる美しさがある」といい、「色々な束縛があるために、むしろ美しさが確実になってくる場合がある」という。
 「実は不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って見ますと、まるで違う見方が成り立ちます。用途に適うということは、必然の要求に応じるということであります。材料の性質に制約せられるとは、自然の贈り物に任せきるとうことであります。手法に服従するということは、当然な理法を守るということになります。・・・実用的な品物に美しさが見られるのは、背後にかかる法則が働いているためであります。これを他力の美しさと呼んでもよいでありましょう。他力というのは人間を越えた力を指すのであります。自然だとか伝統だとか理法だとか呼ぶものは、凡てかかる大きな他力であります。かかることへの従順さこそは、かえって美を生む大きな原因となるのであります。なぜなら他力に任せきる時、新たな自由の中に入るからであります。」

 なかなか名文であり、用の美の本質をついていて、ほれぼれとします。「用の美」は「他力の美」と言い換えてもいい。「他力美」とはステキなコンセプトです。
 
 どのような経緯で柳はそれまで誰も注目しなかった日用雑記たちに「美」を発見することができたのか。視点移動による相対化が契機になったのではないか。彼は朝鮮民族の工芸品に特有の美を見いだし、それから日本に視点移動して、日本の工芸品に対して外からの視点で見つめることによって、日本の実用品にも特有のすぐれた美がそなわっていることを発見できたのではないだろうか。日本の工芸美を相対化してみることができたのだ。(外国に行って初めて日本の良さが実感として分かることに似ているかも。)
 この本は柳の文章とともに芹沢桂介の挿絵がすばらしい。芹沢は型絵染めの人間国宝柳宗悦が精力的に収集した民芸品は日本民芸館(http://www.mingeikan.or.jp/home.html)に一部が展示されている。