偶有性と暗黙知

 朝、駅に向かう下り坂を歩きながらひらめきがやって来た。最近読んだ茂木健一郎の本(レクチャーだったか)の中で書かれていた「脳は偶有的な不確定性が大好き」ということについて考えた。脳内のドーパミン細胞は、不確定性に強く反応する。たとえば、密かに好意をもっている人とのアイコンタクトも、チラチラといつ目が合うかわからない偶有性があるからドキドキするしワクワクする。ジーと見詰められ放しでは気味が悪いし、3秒毎に規則的に見られてもつまらない。脳は、偶有的事態によろこびを感じるのだ。
 偶有性とは、規則的でもランダムでもないことであり、複雑系科学で云われている「カオスの縁」ともなんとなく関係がありそうだ。カオスの縁は生命の起源に関係するし、創発にも関与している。創発に関係しているということは、脳内自己組織化現象である暗黙知の作動においても、この偶有性は何らかのはたらきをしている筈だ。
 偶有性はcontingencyであり、これはルーマンの社会システムの形成の前提となるDC(ダブル・コンティンジェンシー)にも関係している。DCは、たとえば、廊下で前から来た人とすれ違うときにぶつかりそうになる事態に現れている。つまり、すれ違う二人が互いに避けようとするときに、二人とも互いに避けようとする方向にいってしまうことがよくある。一方が目をそらして一途に思う方向にすすめばこのようなことは起こらないが、お互いに相手の進む方向を予測しながら歩いていくと、同じ方向に行き、さらにそれを避けようとすると、またまた二人が避けようとする方向が同じになってしまい苦笑する。そのような経験はよくある。このような事態は人間にのみ生じることではないか。動物たちの行動にはDCは生じないのではないか。DCは社会システムの形成に関与しているらしいが、社会システムの形成は認識システムを前提としているか、あるいは認識システムの生成と社会システムの形成は共起的に生じた筈である(このあたりは山下和也の「オートポイエーシスの世界」を参照)。そして、認識システムとは、知性と呼ばれている行動様式である。
 したがって、偶有的事態によろこびを感じる人間の脳が、知性という極めて特異な行動様式をもたらした。そして、技術的知性(技術の起源)もこのことと大いに関係しているのではないか。と、ここまで妄想したところで電車が来た。