不利な変異によるパラドックス

 島泰三が最近出したすばらしい本「はだかの起原」(木楽舎)によれば、現生人類ホモ・サピエンスの裸化(毛皮を失うという形質変異)は、類人猿3属11種のうち、現生人類にのみ起こったきわめて例外的な出来事であった、ということであるらしい。つまり、ホモ・エレクトゥスネアンデルタールは現生のヒトとは別種であるかぎり、裸ではなかった、ということである。
 さらに重要なことは、現生人類においては、裸化と咽喉拡大が同時に起こったということである(多面発現効果)。この咽喉拡大という変異も生存上きわめて不利な形質なのである。毎年お正月にお餅を喉に詰まらせて窒息死される方があとを絶たないのはこの形質のおかげだ。
 しかし、このような生存上不利な変異である咽喉拡大によって、言葉を発する機構が獲得された。
 このとき何が起こったか。ここからは私の推測であり仮説である。裸化によって毛皮が消失し、しかも咽喉拡大による分節化された音声を出すことができるようになった結果、通常の毛皮グルーミングから音声グルーミングに移行したということである。この裸化による音声グルーミングへの移行は、実は伊勢史郎が既に考えていたことである(快感進化論)。伊勢史郎やダンバーも指摘しているように、通常の毛皮グルーミングに対する音声グルーミングの利点は絶大なものがある。
 ところで、伊勢史郎は水棲説によって裸化への進化を説明しようとするが、島泰三は水棲説については、哺乳類において毛皮のない種の詳細な分析・検討によって、完全に否定する。私は島泰三の説明の方が客観的で説得力があると思う。
 いずれにしても、裸化と咽喉拡大の二重苦によって音声グルーミングが生じ、得意なコミュニケーションシステムが作動を開始したことだけは確かだ。これは生存に不利な二重苦による稀有なパラドックスである。
 さらに私は、裸化にともなう重大な変化に着目したい。それは、皮下脂肪の蓄積である。デイヴィッド・ホロビンの「天才と分裂病の進化論」によれば、現生人類にのみ生じた脂肪の蓄積によって脳が異常に発達してしまったということである。
 裸と脂肪と脳の異常発達(およびそれにともなう副作用としての分裂病統合失調症)は密接に関係し合っている。