74回目の終戦記念日に際して (リチャード・コシミズ)

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●74回目の終戦記念日に際して

昨日は、74回目の終戦記念日でした。


毎年、この日になると思う疑問があります。



戦没者310万人の冥福を祈る」と繰り返されます。



でも、日本以外の戦没者を含めると、1000万人以上になります。



インドネシアで400万、ベトナムで200万、フィリッピンで110万。その大半が、餓死です。日本軍が食糧を徴発した結果です。


戦争の犠牲を悼むとき、日本人以外の死者に目を向けることができる日本人でありたいと思います。


もう一つの疑問が、戦争の原因を誰も理解していないことです。DeepStateが捏造した第二次大戦に引きずり込まれて、日本は戦争当事者になってしまった。


ルーズベルトが、欧州の戦争に米軍を参加させる口実を作るために、意図的に日本に真珠湾攻撃をさせた。危険な真珠湾に主力艦を集めて、わざと攻撃させた。山本某長官と、おそらく談合して。日本の外務省は、「不意打ち」をするお手伝いをした。そして戦後74年間、日本は戦争を起こしたことについて批判を受けてきた。


そして、戦争中には核実験の場所にされた。広島長崎以外にも核攻撃を受けながら、日本国民はその事実をいまだ知らずにいる。長崎の数千のカソリック信者の上に原爆を落としたのが、米軍の中のユダヤ人DeepStateの集団であったことを忘れてはならない。


さらにもう一つの疑問。戦争末期の「特攻攻撃」を賛美する人たちがいます。隊員たちの国と家族を思う気持ちは素晴らしいものです。否定などしません。だが、忘れてならないのは、特攻攻撃では、国家を救うことはできないという教訓です。特攻は、当初はある程度結果を出しましたが、末期は惨憺たるもので、敵艦にたどり着くまでに、燃料切れや「居眠り」、編隊から脱落するなどして墜落してしまったのです。少数が敵艦隊にたどり着いても、対空砲火や迎撃機によりほとんどが撃ち落とされた。非常に効率の悪い戦法だった。


日本海軍が誇る、撃墜王、岩本徹三中尉は、ゼロ戦を駆って202機を撃墜した。そして、特攻には終戦まで反対し続けた。「生き残って敵と戦い打ち負かす」のが操縦者の使命だと。


岩本氏は、ラバウル航空隊において、1943年12月の攻撃に際し、三号(クラスター)爆弾を使用した。爆撃を終えて帰投する米空軍B-24の編隊に1000m上空から三号爆弾を投下。空中で子爆弾を散開させて、一度に26機を撃墜した。その後も何度もB-24の大量撃破に成功している。もし、岩本が特攻に参加していれば、202機の敵機を撃墜することはなかった。


特攻で一瞬に消えるのではなく、執拗に生き残って敵にまとわりつき、敵を徹底的にせん滅する。それが本当の国士の仕事であると思います。国家の指導者が、それに気づいていれば、岩本徹三があと30人育っていたら、日本は違う道を歩んでいたかもしれない。


戦争の真実を伝えなくては。日本人の進むべき道を、戦争の真実を知ることから紐解いていくべきである。その作業を今も進めています。

リチャード・コシミズでした。

richardkoshimizu.exblog.jp