ASKA事件は冤罪事件だったようです

山崎行太郎氏によると、どうも、ASKA事件は冤罪事件だったようですね。
最近の山崎行太郎氏の一連の投稿記事を読むと、どうもASKA事件(再逮捕事件)は、冤罪事件の可能性が濃厚です。

そもそも、この種の事件では、末端の使用者のみが問題とされ、供給源についての追及がまったくなされていないことが、そもそも不思議です。ゴキブリは元を絶たなきゃだめ、なのに。警察もマスコミも、そこにメスを入れようとしないのはなぜか?

素朴な疑問がふつふつと湧いてきます。

ASKA事件と憲法学者階級闘争

宮根誠司は「ミスターサンデー」でも、ASKA事件を取り上げていた。ASKAが「お茶を入れた」と言うことの意味を、まだ理解できないらしい。理解できない振りを演じているのか、本当に理解できないのか。宮根誠司が典型的な電波芸者であり、警察や国家権力の「走狗」であることを証明している。

科捜研が、「お茶から覚せい剤が出た」ということは、警察や科捜研が、「覚せい剤を、お茶に混入した」ということだ。言い換えれば、警察や科捜研が、「覚せい剤事件を捏造した」ということだ。いわゆる冤罪事件がである。テレビ番組を中心とする「野次馬ジャーナリズム」は、依然として、ASKA不起訴事件という「冤罪事件」に気付かない振りをしている。

その代わり、ASKAを、「覚せい剤犯罪者」に仕立てようとしている。つまり、テレビ番組は、警察や国家権力の暴走の「共犯者」であるということだ。警察や国家権力が逮捕していたASKAを、「嫌疑不十分」で、無罪釈放したという事は、警察や国家権力の方では、「覚せい剤事件を捏造した」ことを認めているということだ。

明らかに冤罪事件であるが、こういう時に、憲法学者や弁護士は、「国家権力の暴走」を徹底批判するものではないのか。しかし、何の反応もしていないようだ。憲法学者失格である。テレビ番組に出ているインチキ弁護士等が、権力の暴走の手先である「電波弁護士」であることは、分かりきっているが、安保法制批判で活躍した「憲法学者」はどうなのか。憲法学者も「ASKA犯人説」支持なのか。

憲法学者もアテにならない。憲法学者も「国家権力の一部」でしかない。ところで、そもそも「憲法とは何か」。憲法とは、国家権力の暴走を取り締まるものではなかったのか。それを「立憲主義」というのではなかったのか。とすれば、ASKA不起訴事件のような冤罪事件こそ、国家権力が、国民の自由や人権を侵害した「国家権力暴走事件」ではないのか。

こういう時こそ、憲法学者たちは、「国家権力の暴走」を批判すべく声を発し、「憲法を守れ」と一斉に立ち上がるべきではないのか。「安保法制批判」の時には、「国家権力の暴走」を批判して、全国に散らばる憲法学者たちは立ち上がったではないか。何故、ASKA冤罪事件を批判しようとしないのか。憲法学者も国家権力の手先でしかないのか。

江藤淳の『一九四六年憲法ーその拘束』(文春学術ライブラリー)によれば、憲法学者たちが、国家権力の暴走を批判するどころか、国家権力の一部であることを証明している。テレビ司会者もインチキ弁護士連中も、もちろん憲法学者たちも、既得権益層を形成している。既得権益層とは、国家権力の一部であるということだろう。

テレビ司会者もインチキ弁護士連中も、もちろん憲法学者たちも国家権力の一部である。国民の自由や人権など守ろうとは思っていない。今こそ、彼等との階級闘争が必要だ。
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