ボブ・ディラン(75)ノーベル賞受賞を拒否か?

ボブ・ディラン(75)は、どうもノーベル賞の受賞を拒否するようです。

米国大統領選で行われようとしている不正選挙(票の操作)についての記事にしようと思っていましたが、ボブ・ディランノーベル賞拒否の方が優先です。


ソエ爺(副島隆彦)はハタと気が付いたようです。

人類の「戦争と平和」さえも管理しようとするヨーロッパの王族・貴族体制に屈服させようとするこの巨大な悪に対して、ボブ・ディランはノーを突きつけた。


やはり、ボブ・ディランは真に偉大だ。



以下、学問道場「重たい掲示板」のソエ爺の記事を転載。

[2023]ノーベル文学賞 を 拒否した ボブ・ディランは、真に偉大である。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2016-10-22 05:32:32
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

副島隆彦です。 今朝、以下の記事を見て、私は、はっと大きく気づいたことがあります。

(転載貼り付け始め)

●ディラン、「ノーベル賞受賞」削除を指示? 公式サイト

朝日新聞   2016年10月21日(金)21時18分配信

ノーベル文学賞受賞者」の文字が削除された歌詞集の紹介ページ=ボブ・ディランさんの公式サイトから  今年のノーベル文学賞の受賞が決まった米国のミュージシャン、ボブ・ディランさん(75)の公式ウェブサイトから、「ノーベル文学賞受賞者」の文言が削除されたことが21日、分かった。

【写真】「ノーベル文学賞受賞者」と記されていた以前のページ

 各国メディアによると、ディランさんの公式サイト「bobdylan.com」の書籍紹介ページでは、17日付で掲載されたとみられる歌詞集の紹介文で「ノーベル文学賞受賞者」と記されていた。ディランさん側が受賞を歓迎したものと思われたが、21日までに削除された。文学賞を選考するアカデミーがあるスウェーデンのメディアは、関係筋の情報として「削除はディラン自身の指示だ」と報じた。

 ディランさんは13日の受賞発表から、受賞について一切コメントしていない。(ブリュッセル=渡辺志帆  朝日新聞社

(転載貼り付け終わり)


副島隆彦注記。 ハッと気づいた。 私は、戦争と ・・・・「世界の平和まで 管理する」 スウエーデンのノーベル賞という賞をやるから、スウエーデン国王の前で、頭をさげろ、 賞をやるから、 ヨーロッパの王族、貴族体制に屈服しろという ことの巨大な悪に、ようや気づいた。 この人たちは、この世の、人類の「戦争と平和」さえも管理するのだ。

 やはり、ボブ・ディランは、真に偉大だ。  日本人は、大江健三郎 が、ノーベル文学賞(1995年?)は、貰ったが、天皇陛下からの 文化勲章は、拒否=辞退した。 これが、日本人としての 限度だ。 これ以上の行動を取れる 日本人は、いない。

以下の泉谷 しげる が インタビューに答える 「  ボブ・ディランノーベル文学賞、この違和感がたまらない。不思議な感じがする。でもこの不思議な感じも含めて、みんなで楽しめばいいじゃねぇか 」が、すばらしい。

 泉谷も、1070年、ベトナム反戦フォークソングあがりだ。 泉谷は、片足が悪くてずっと障害者でもある。障害者の苦難の人生を生きてきた。

さて、私、副島隆彦は、自分が生きているうちのよろよろの時に、文化勲章をやる、と言われたら、どうするか。 きっと貰(もら)うだろう。そして、宮中(旧江戸城)に行って、ニコニコとして他の受賞者と並んでいるだろう。日本の文化の伝統に従おうとする。 私は、この程度の知識人でしかない 自分を 不甲斐なく思った。 ボブ・ディラン(75歳)は、 史上初、ノーベル文学賞を コケ(虚仮)にして見せた。こうすることで、ついに 1903年? からのヨーロッパ中心の ノーベル賞世界体制を打ち破った。彼は、真に偉大な 音楽家だ。  副島隆彦 注記 終わり


(転載貼り付け始め)

●「 ディランさんへ、もう連絡しません ノーベル賞事務局 」

ロンドン=渡辺志帆 朝日新聞2016年10月18日
2012年1月、米ロサンゼルスでパフォーマンスを披露したボブ・ディランさん=AP

 今年のノーベル文学賞を米国のミュージシャンのボブ・ディランさん(75)に授与すると発表したスウェーデン・アカデミーは17日、ディランさん本人への連絡を断念すると明らかにした。サラ・ダニウス事務局長が地元ラジオに語った。

●「 「ボブ・ディランさん電話して」 ノーベル賞連絡とれず 」

 それによると、アカデミーは授与発表から4日がたった現在も、ディランさん本人と連絡が取れていない。ディランさんが文学賞を受けるつもりがあるかや、12月10日にストックホルムである授賞式に出席するかも不明だ。ダニウス氏は「受諾してくれると思う。そうでなければ悲しいが、栄誉は彼のものだ。心配はしていない」と語った。関係者への連絡は続けるという。

 ディランさん本人は、受賞についてコメントしていない。公式ツイッターは、受賞当日の夜にオバマ大統領からの祝福メッセージをリツイートして以後、更新が途絶えている。(ロンドン=渡辺志帆)


● 「ボブ・ディランさん沈黙貫く ノーベル賞決定後初の公演 」

ラスベガス=平山亜理、ロンドン=渡辺志帆

2016年10月14日 朝日新聞

米ラスベガスでは13日、カジノホテル前の通りに、ボブ・ディランさんのノーベル文学賞受賞決定を祝福する看板が出た。

 ノーベル文学賞受賞が決まった米国のミュージシャンで作詞家のボブ・ディランさん(75)が13日、ラスベガスで自身のコンサートに出演し、受賞決定後、初めて公に姿を現した。ただ、受賞については、一切語らなかった。

•「 ボブ・ディランさんにノーベル文学賞 音楽家・作詞家

特集:ボブ・ディラン

 受賞決定の発表は米時間13日午前で、ディランさんはその夜、予定通りに出演。会場を埋め尽くした年配のファンたちは総立ちになって声援を送った。
 ディランさんは「追憶のハイウェイ61」「風に吹かれて」「くよくよするなよ」などの名曲を交えた1時間半の演奏を終えると、観客に一言も語りかけずに舞台を去った。 観客で20年来のファンという…

●「ボブ・ディランさん電話して」 ノーベル賞連絡とれず

ストックホルム=渡辺志帆 2016年10月14日11時30分

 ボブ・ディランへのノーベル文学賞授賞が発表された13日、スウェーデン紙ダーゲンス・ニュヘテルの公式ツイッターに英文のメッセージが載った。

 発表から4時間がたった同日午後5時(日本時間14日午前0時)時点で、スウェーデン・アカデミーはツアー中のディランと連絡が取れていないという。同紙(電子版)によると、スウェーデン・アカデミーは発表から約2時間半後にツアーマネジャーの連絡先を入手したが「寝ている」(サラ・ダニウス事務局長)として直接は話せなかったという。

 昨年は受賞者スベトラーナ・アレクシエービッチさんに発表前に電話で授賞を伝えていた。(ストックホルム=渡辺志帆)

● 「 泉谷さん「違和感たまらない」 ボブ・ディラン氏受賞 」

朝日新聞 2016年10月13日23時14分

歌手・泉谷しげるさん

 ボブ・ディランノーベル文学賞、この違和感がたまらない。不思議な感じがする。でもこの不思議な感じも含めて、みんなで楽しめばいいじゃねぇか。

● 「 ボブ・ディランさんにノーベル文学賞 音楽家・作詞家 」

2016年10月13日20時11分

ボブ・ディランさん(ソニー・ミュージックレーベルズ提供)

 米国のミュージシャンで作詞家のボブ・ディラン(Bob Dylan)さん(75)が、2016年のノーベル文学賞に決まったと13日、スウェーデン・アカデミーが発表した。賞金は800万スウェーデンクローナ(約9400万円)で、授賞式は12月10日、ストックホルムで行われる。米国人のノーベル文学賞受賞は1993年のトニ・モリスン以来で、11人目。

ベトナム戦争に揺れる若者の心とらえ ボブ・ディラン

 ディランさんは1941年5月24日、米ミネソタ州ドゥルース生まれ。カントリー音楽やブルースの影響下、高校時代から音楽活動を始めた。62年、アルバム「ボブ・ディラン」でデビューした。

 63年に出したセカンドアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」には、「風に吹かれて」「戦争の親玉」など、その後も代表曲として歌い続けられる作品が収められ、高い評価を受けた。さらに64年にはアルバム「時代は変わる」を発表。

 公民権運動やベトナム戦争に揺れる若者たちの心をとらえ、プロテスト・シンガーとして熱狂的な支持を受けた。現在に至るまで精力的なライブ活動を続け、ロック界のカリスマ的な存在であり続けている。
 
 78年2月末に初来日して東京と大阪でコンサートを行い、86、94(2回)、97、01、10、14、16年にも来日公演を行っている。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦 拝

なお、上の記事で、

ボブ・ディラン(75歳)は、 史上初、ノーベル文学賞を コケ(虚仮)にして見せた。こうすることで、ついに 1903年? からのヨーロッパ中心のノーベル賞世界体制を打ち破った。彼は、真に偉大な音楽家だ。」

とありますが、ノーベル賞全体では、過去に受賞を辞退したのは6人。うち、自分の意志で拒否したのは、哲学者サルトル北ベトナム労働党政治局員レ・ドク・トの二人。レ・ドク・トの方は、1973年の平和賞で当時のキッシンジャー米大統領補佐官と共同授賞が決まったときに受賞を拒否。その他の4人は、受賞当時の政治的圧力によるもので自身の意志によるものはない。


さらに、ロシアの文豪トルストイも、推薦の段階で拒否し続けたそうですね。トルストイも偉大だ。

ノーベル賞辞退、過去に6人=ボブ・ディラン氏、沈黙続く
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016101800471&g=int

 13日に今年のノーベル文学賞授与が決まった米シンガー・ソングライターボブ・ディラン氏(75)の沈黙が続いている。ステージには立っており、決して雲隠れしているわけではないが、受賞するのかしないのか、はっきりしない。ただ、受賞を辞退しても、ノーベル賞の歴史では初めてではない。ノーベル賞の公式サイトによると、辞退者は過去に6人存在する。
 最も新しい例は1973年の平和賞で、当時のキッシンジャー米大統領補佐官と共同授賞が決まった北ベトナム労働党政治局員レ・ドク・トが拒否している。68年からのパリ和平交渉の舞台裏で秘密協議を重ね、73年1月のパリ協定調印を実現した。協定に従い米軍の大半は3月、ベトナムから撤退。ノルウェーノーベル賞委員会は「足かけ4年に及ぶ交渉の末、停戦に結び付けた」と両者を称賛していた。
 しかし、ベトナムの戦火は完全には消えていなかった。公式サイトによると、北ベトナムからは「米国が停戦違反を繰り返している」ことを理由に受賞拒否が伝えられた。委員会は「ベトナムの状況が許せば翌74年10月1日まで受賞は可能」と待ち続けた。ベトナムは75年、サイゴン陥落を迎え南北統一を果たす。
 もう一人は、64年の文学賞を拒否したフランスの哲学者サルトルで、授与決定後、仏紙フィガロに「選ばないでくれと手紙を送った。(選考機関の)スウェーデン・アカデミーを侮辱したのではない。賞は全て辞退している」と理由を説明していた。アカデミーは選考から50年を経過した後、関連する資料を公開しており、当時のサルトルの手紙も昨年公開されている。郵便事情が悪くて間に合わず、ストックホルムに届いたのは授与発表の後だったことが確認された。
 文学賞は58年、旧ソ連の作家パステルナークも辞退に追い込まれている。小説「ドクトル・ジバゴ」の内容が反ロシア革命的と見なされ、ソ連共産党から強い圧力を受けていた。
 同様に第2次大戦前に辞退したのはいずれもドイツまたはオーストリアの学者で、39年化学賞のブーテナント、同年医学生理学賞のドーマク、38年化学賞のクーンの3人。いずれもナチス政権の圧力で受賞できなかった。
 このため自分の意思で辞退したのは、6人のうちレ・ドク・トとサルトルの2人だけということになる。ただ、公式サイトによると、ロシアの文豪トルストイも1910年の死去まで繰り返し推薦を受け候補となったが「本人が望まず、授与が決まっても辞退すると述べた」と付記されている。(2016/10/18-14:28)