『チェリー・イングラム―日本の桜を救ったイギリス人』(阿部菜穂子)

(江戸時代の日本の桜の多様性に魅せられた英国の園芸家であり鳥類研究家のコリングウッドイングラム氏)


今年も桜の季節がやっとめぐってまいりました。

関東地方は明日が桜の満開を迎えるそうです。

でも、この場合の「桜」とはソメイヨシノ

日本の桜は、いまや「(染井吉野ソメイヨシノ」だけになってしまいました。


でも江戸時代の桜には、もっと多様性がありました。

江戸時代の大名屋敷では250種以上の様々な桜の品種が育種されていたそうです。

上野の山は、ヤマザクラエドヒガンの名所だった。


ところが明治維新後、ソメイヨシノ一辺倒になってしまって、日本の桜の多様性は失われた。

桜の技術文化の荒廃。

太白(タイハク)や白妙(シロタエ)といったすばらしい桜の品種は絶滅。


江戸時代の日本の桜の多様性に魅せられた英国の園芸家であり鳥類研究家がいました。コリングウッドイングラム氏(1880年〜1981年)は、1920年頃から日本の桜の品種を収集し始め、英国で約100種の桜を育種し続けたそうです。

日本では絶滅した太白(タイハク)や白妙(シロタエ)のような品種は、イングラム氏のおかげで英国から京都に穂木が送られて、蘇った。


ところで、なぜ、日本の桜がソメイヨシノ一色になってしまったのか?

この本の著者である阿部菜穂子女史によれば、「ぱっと咲いて一斉に散るソメイヨシノ全体主義イデオロギーに利用された」ということらしい。


そういえば、本居宣長を論じた小林秀雄が「ソメイヨシノは本当の桜ではない」という趣旨のことを言っていたことを思い出した。

本居宣長ヤマザクラをこよなく愛した。かれの墓は俗世間用と本当の自分用の2種類あったようですが、本当のお墓にはヤマザクラを植えたそうです。


チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人

チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人

大英帝国の末期に生きた園芸家が遠路訪れた日本で目にしたのは、明治以後の急速な近代化と画一的な「染井吉野」の席巻で、多種多様な桜が消えようとする姿だった。「日本の大切な桜が危ない!」意を決した彼はある行動に出た――。日本の桜の恩人であり、今につながる「桜ブーム」をイギリスに起こしたその稀有な生涯を描く。

大英帝国の末期に活躍した園芸家、コリングウッドイングラム。桜の魅力にとりつかれた彼が遠路訪れた日本で目にしたのは、明治以後の急速な近代化と画一的な“染井吉野”の席巻で、日本独自の多種多様な桜が消えようとする姿だった。「日本の大切な桜が危ない!」意を決した彼はある行動に出た―。「桜守」舩津静作など多様な桜の保護に尽力した日本人との交流や、日英のかけ橋となった桜という「もの言わぬ外交官」をめぐる秘話もエピソード豊かに織り交ぜながら、「日本の桜の恩人」の生涯を辿る。

著者略歴
阿部菜穂子
ジャーナリスト。1981年、国際基督教大学卒業。毎日新聞社記者を経て、2001年8月からイギリス・ロンドン在住。「ルーシーとラッパズイセン」が2011年文春ベストエッセイの一編に選ばれている。

【参考】

●多彩なSakura咲き誇れ 英園芸家が20世紀前半に多種収集(中日新聞

ソメイヨシノ一色の日本に危機感
 タイハク(太白)やシロタエ(白妙)など、さまざまな日本の桜を英国で広めた園芸家コリングウッドイングラムさん(一八八〇〜一九八一年)の業績を、英国在住のジャーナリスト阿部菜穂子さん(57)が「チェリー・イングラム−日本の桜を救ったイギリス人」(岩波書店)にまとめた。二十世紀前半に多種多様な桜のコレクションに尽力した熱意の裏には、ソメイヨシノ一辺倒になっていく日本への危機感があった。
 イングラムさんは元は鳥類研究者だったが、日本で見た桜に魅了され、二〇年ごろから収集を開始。国内外から取り寄せ、約百種を庭園で育成した。四八年には集大成の「観賞用の桜」を出版。接ぎ木に使う穂木(ほぎ)や苗木は各地に行き渡って英国の桜人気の礎を築いた。

 英国で見かける個性豊かな桜に関心をもった阿部さんはイングラムさんの孫夫妻を訪ね、珍しい桜の収集を目的とした二六年春の訪日時の日記や、日本の桜愛好家たちとの書簡を入手。日記には「商業主義の波が数々の美しい桜をめでる心を日本人から奪ってしまったようだ」と、珍しい品種への関心が薄れていくことに憂慮が記されていた。
 「自分で集められる限り集め、多様な桜が消えるのを救おうとイングラムさんは考えた。『日本人は将来、伝統の桜を英国や米国で探すことになるだろう』とも皮肉的に述べている」と阿部さんは話す。実際、日本で絶滅したとみられたタイハクは三二年、イングラムさんの庭園から京都に穂木が送られ、よみがえった。
 なぜ日本はソメイヨシノばかりになったのか。日本でも取材した阿部さんは、近代化の歩みと深く関係していると知る。
 そもそも日本古来の桜は地域で異なり、開花時期もばらばらだった。江戸時代には大名屋敷で二百五十もの栽培品種が生まれたが、明治維新で荒廃。一方、生育が早く、同じ時期に一斉に花開くソメイヨシノは、見る人に華やかな印象を与え、近代的な街並みを美しく彩るのに都合がよかった。ヤマザクラエドヒガンの名所だった東京・上野や向島ソメイヨシノに入れ替わった。
 日本でも、多様な栽培品種を守ろうとした愛好家らもいたが、少数の声は次第にかき消されていく。「ぱっと咲いて一斉に散るソメイヨシノ全体主義イデオロギーに利用された」(阿部さん)という面もある。敗戦後、焼け野原に急ぎ植樹されたのも生育が早いソメイヨシノだった。
 「さまざまなすばらしい桜が日本にあることを、知ってもらいたい」と阿部さんは話している。
(ロンドン・小嶋麻友美