袴田事件再審決定

袴田さんは48年間、死刑執行の恐怖のなかで生きてきた。

証拠を捏造した警察検察のブラック性は既に小沢一郎謀略裁判事件で国民のよく知るところとなりましたが、そもそも、事件発生当時(1966年)袴田さんに対する人格攻撃を含む醜い報道を垂れ流してきたブラックマスコミに検察や警察を批判する資格はないのです。


袴田事件再審決定捜査情報を垂れ流したメディアに警察・検察を批判する資格があるか
http://blogos.com/article/83357/

 袴田事件のメディア報道について、どうしても拭えない違和感がある。

 静岡県で1966年に一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定していた元プロボクサー袴田巌氏の再審が決定し、48年間勾留されてきた袴田氏の釈放が認められた。

 メディアは再審の決定と釈放を喜ぶ袴田氏や姉の秀子さん、そして弁護団や支援者ら関係者の喜びの声を盛んに報じている。まだ、当時の警察による捜査がいかに杜撰だったかを指摘し、刑事捜査のあり方を改めて問い直す論説やコメントを掲載したり放送している新聞やテレビ番組も多く見られる。

 それらは何れも正しい指摘だと思う。しかし、一連のそうした報道から一つだけ大きく抜け落ちているものがある。今、袴田被告の喜ぶ姿や捜査の不当性をもっともらしく報道しているマスメディア自身は、当時この事件をどう報道していたのかという点だ。

 残念ながら当時のテレビ報道の内容は確認できないため、当時の新聞報道しか把握できていないが、当時の新聞各紙の縮刷版を見ると、ご多分に漏れず1966年の事件当時、新聞各社はまだ捜査段階から袴田氏を実名で報道し、「血染めのパジャマ」「ジキルとハイド」「異常性格」など、明らかに捜査官からのリークと思われる情報を垂れ流していた。特に毎日新聞の突出した暴走ぶりが目についた。

 こうした報道がどの程度捜査や裁判に影響したかを推し量ることは容易ではないが、少なくとも当時のメディア報道が、警察・検察側の捜査官と一体化して、事件を作っていく構図に加担していたことは、いかんとも否定のしようがない。

 結果的にその捜査がこのたび静岡地裁の村山浩昭裁判長によって、「捜査機関に捏造された疑いがある」とまで断罪されたことを、メディア各社は重く受け止め、その反省を今後の報道に反映させる義務を負っているのではないか。


ところで、現在、「いわゆる」文明国(先進国)で死刑制度を存続しているのは、アメリカ合衆国と日本。つまり、宗主国アメリカ)とその植民地(日本)が死刑を維持している、ってことか。ちなみに、中国と台湾と北朝鮮(傀儡国家の北朝鮮は文明国か?)も死刑制度を維持している。
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html

その他欧州の文明国で死刑制度を維持している国はない。


戦争による殺人と死刑は、ブラック化した権力による殺人である点で似ている。


袴田事件 ブラック検察 ブラック司法 死刑廃止
http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/ryuubufan

 袴田事件が教えるもの。ブラック国家の司法の現実である。警察検察の証拠捏造など当たり前である。数限りない例が存在する。ブラックマスコミの国はブラック国家即ち、ブラック検察ブラック司法の国である。

 ブラック国家ほど死刑がある。先進国で死刑を維持しているのは日米だけのようだ。世界的には死刑廃止の趨勢は明白だ。

 何故死刑は廃止すべきか。理由は権力はブラック化するからだ。ブラック権力の極致に死刑があると言っていい。死刑が当たり前という犯罪はある。しかし、それは人間個人の心情の問題だ。つまり、死刑=仕返し殺人 である。個人的に仕返し殺人をやる事は止めようがない。仕返し殺人の動機の発生は個人の心の問題である。

 殺人と死刑は違う。死刑は権力による殺人である。死刑には仕返しの動機は無い。冷静な殺人である。殺人と言う行為は個人間のものである。動物の間の殺しは全て個体間のものだ。捕食の必要から殺す。殺しに正当な動機がある。人間の殺しにも仕返しその他の動機がある。その動機が社会的に不当でも、当人には正当である。

 しかし、権力による殺しには冷徹な論理がある。戦争による殺しと死刑による殺しは同じである。権力が正当化する殺しが戦争であり死刑である。平時において殺人が許されるのは、個人の動機がある場合だけである。しかし、その殺人者には法的対応が為される。国家権力には殺人の権能はない。権力はブラック化する。正当な権力でも常にブラック化の可能性はある。よって、権力には殺人の権能は与えられない。

 個人の動機は自然が為すもの。自然は殺しを許す。動物の世界では殺しは食物連鎖に組み込まれている。草食獣が恨みで肉食獣を殺す事もある。自然界は殺しを裏面に持つ。人間が殺しに及ぶのは自然界の存在故である。人間社会は一定の制約を個人に掛ける。社会の秩序安定維持の為に法を定め、強制力を保持する。しかし、その強制力に殺しは含まない。殺しは自然界の裏面にあるものである。権力による表立った殺人は許されない。社会秩序の維持に死刑殺人は関係ない。

 48年も死刑の恐怖に苛まれた袴田被告に対する償いを誰も取らない。警察も検察も裁判官も責任を取るつもりは全くない。これがブラック権力というものである。今回の件があってもこの国から死刑は無くならない。堂々たるブラック国家だから。ブラックマスコミ、ブラック検察、ブラック司法に些かの揺るぎもない。

 ブラックマスコミは袴田被告に肩入れする記事を書き放送するだろうが、アリバイ工作である。ブラックマスコミの罪は死刑以外にない。