細川護熙・小泉純一郎の銀座街頭演説の模様

2月2日(日曜)午後3時銀座4丁目交差点で行われた街頭演説の動画を見つけたので載せておきます。誰が撮ったのかわかりませんが、すばらしい映像です。

ryuubufanファンのジオログさんが言及されている映像はこれだと思われます。

一候補の街頭演説のためにこれだけの人が銀座に集まったのは江戸が始まって以来初めてのことでしょう。

細川小泉連合の完勝。安倍舛添ハゲタカ勢力の完敗。

銀座で勝利したということは、東京で完勝したということです。舛添優勢という報道はウソだということ。


細川護煕街頭演説銀座4丁目交差点(1)2014/2/2
http://www.youtube.com/watch?v=B9M9KMie47Q

細川護煕街頭演説銀座4丁目交差点(2)2014/2/2
http://www.youtube.com/watch?v=rWC2oIsvSA4


http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/ryuubufan
●細川と東京のブランド性の共鳴
 昨日の銀座の大観衆の様子がリアルに分かる映像があった。頭上2mほどの高さにカメラを取り付けていたようだ。でっかいテレビカメラにはないハンディ性を持つ普通のビデオカメラならではの撮影だったのだろう。遠巻きの現場の人より良く全体の様子が見える。

 そこに映し出された人々の様子にある印象があった。特に女性。あれこれ具体的に説明しないが、全体としての洗練された秩序感が印象的だった。なるほど銀座である。銀座でこんなに人が集まったのを見た事が無いというネット上の記事があった。昨日は安倍舛添連合も銀座に来たようだったが、細川小泉連合が完勝だったようだ。

 大観衆が細川の声が聞こえ始めて吸い寄せられて行く様子がよく分かる。普通銀座では起きない現象なのではないか。銀座は大人の洗練された街というイメージだ。こういう街は日本の中で東京の銀座だけだろう。細川小泉連合は立川でも池袋でも新宿でも渋谷でもどこでも大観衆を集めたが、銀座も物凄かった訳である。これらのそれぞれ街は皆性格が違う。その中で銀座は特殊だ。

 銀座の特殊性はブランド性にある。そして、それはそのまま東京のブランド性の裏付けになっている。銀座こそ東京なのである。確か日本最初のマック店は銀座だっただろう。調べてみたらそうだった。1971年(昭和46年)7月20日の事だ。東京と言えば新宿渋谷原宿などが思い浮かびもするが、銀座と言うのは極めて特殊な印象がある。やはりブランド性なのだ。他のどこにもない。首都東京のブランド性は銀座に源があるのである。

 私は最初から思っていた事であるが、細川の殿様キャラと東京のブランド性は一致する。石原慎太郎が何故東京で圧倒的に強かったのか。それは石原のブランド性故である。しかし、その石原ブランドも根は浅いものでしかない。疑似ブランドと言おうか。それでも他にいないから石原ブランドは圧倒的だった訳である。

 ところが、細川ブランドは正に銀座ブランドと言っていい程の真正ブランドである。細川の76歳と言う年齢は細川ブランドを傷つけない。石原は80歳である。石原ブランドも80歳に傷つけられない。ブランドは歴史が形づくるものである。細川の76歳などはブランドにとっては寧ろプラスなのである。ブランド性の無い者には76歳はマイナスだろう。細川には当て嵌まらない。

 銀座で完勝した細川。それは東京で完勝という事である。

 当初、細川は20年ぶりという事もあり、小泉の手助けなしにはやって行けない感じだったが、徐々にイメージが上がり始めた感がある。演説も中々上手くなり、気品と情熱がうまい具合にブレンドし始めた。昨日の銀座の細川はそんな流れの決定的な形が現れたものだったと言える。

 当初はハッキリと小泉主導だったが、今は多分五分五分か若干細川主導になりつつあるという感じである。銀座には細川だった。

 銀座のブランド性と舛添、宇都宮、田母神を並べた時、全く共鳴しない事が一瞬に分かる。細川と他の者とは本来競い合う関係ではない。細川が横綱、舛添は前頭、宇都宮は序二段である。画然たる違いがある。それをカルトマスコミが情報操作で舛添を上に持ってきている。

 しかし、細川と東京のブランド性の共鳴は打ち消しようがない。銀座が完全に証明してしまった。

 カルト体制は日本のブランドを破壊した。細川は日本のブランドの蘇生に立ち上がったと見れる。まず東京のブランドを蘇らせる。そして日本のブランドを世界で再確立する。脱原発は日本ブランド再生の第一歩である。原発はカルトの電源なのである。