検証(番外)小沢一郎はルビコン川を渡った

先日、たまたま会った知人の弁護士と電車の中で立ち話。

私: ところで、先日の小沢議員秘書東京地裁の判決についてどう思います? 証拠がなくても類推と推認だけで人を有罪にできるんですねー、驚きました。画期的ですねあの登石某という裁判長は・・・推定無罪の原則を知らないですかね。

某弁護士: 確かに直接的証拠は無いかもしれませんが、間接的証拠に基づく判断だとすれば必ずしも不当な判決とは言えないと思います。もっとも判決は読んでいませんが・・・

私: ・・・・
(会話はここで終わり)


弁護士といえどもこの程度の知識なのです。かれは東大卒の頭が超キレる弁護士だ。しかし、日々の仕事に追われてじっくり考える暇もないのでしょう。テレビニュースや新聞報道をチラッと見ただけで何の疑問も感じない典型的なB層弁護士(失礼!)。

ところで、直接的・物的証拠以外の「間接的」証拠とは何だろう。きっと、裏が取られていない新聞記事や小耳にはさんだ噂でも間接的証拠になるのだろう。



天木直人(あまき・なおと)さんは、先日の小沢一郎氏の裁判での陳述を読んで、小沢さんはルビコン川を渡った、とみている。
http://www.amakiblog.com/blog/


ちなみに、ルビコン川は、紀元前49年1月10日、ローマ内戦においてユリウス・カエサルが渡った川。このとき、「賽は投げられた」(Alea jacta est, アーレア・ヤクタ・エスト)と檄を発したことで有名。「ルビコン川を渡る」とは以後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断と行動をすることの例えとして使われている。(Wikipediaより)

天木直人氏は、小沢氏のこの陳述を読んで、小沢一郎は検察・司法権力に対して戦闘宣言をしたとみた。ここまで権力批判を法廷で行なったということは革命闘争を宣言したも同然。

このような司法権力(国家権力)に対する徹底的批判は裁判には不利になる。しかしそんなことは問題ではない。

天木氏は言う。


「もはや私は裁判の帰趨など関心は無い。
 この国の裁判は所詮は最高裁を頂点とする裁判所という司法官僚の
手に握られているからだ。
 かつての同僚たちの判断は所詮は権力を背にした方便だ。
 権力を持つ者が正しいのである。
 私も法律をかじった官僚の一人だった。
 多少の法的議論はできる。
 しかしもはやあらゆる司法技術的な議論は不要だ。不毛だ。
 小沢を支持するかしないかだけである。」


ルビコン川を渡った小沢氏に奇跡は起こるのだろうか。

弊ブログも天木氏の見解に激しく同意する。

今の日本を支配している悪徳ペンタゴンとそのプロパガンダを垂れ流す今のマスコミ(マスゴミというらしい)に対する全面対決が今回の小沢一郎氏をめぐる裁判のポイントだ。

このポイントは外したら本質が見えなくなる。