明け方4時半ころに眼をさまし、NHKのラジオ深夜便を聞く。昨日の続きで、哲学者の木田元氏の話がおもしろい。
 木田元氏は瀬戸内海は江田島海軍兵学校終戦を迎える。あの8月6日、水練の訓練中に、原爆投下を数十キロ離れた広島の空に見る。
 一瞬、眼の周りが紫になり、遠方の広島の上空に1本の雲の柱が出現し、やがてそれがキノコ雲に変化していった。
 その後、波瀾万丈の期間を過ごした後に、ドイツの哲学者・ハイデガーを原文で読むためだけに東北大学の哲学科に入学しなおす。このへんがすごい。
 インタビューの最後あたりの、ハイデガーの技術論のはなしがおもしろかった。
 ハイデガーは人間の技術活動をどうとらえていたか。単純化していえば、ハイデガーは、技術とは自己運動する構造である、と捉えていたらしい。つまり、技術は、人間が生み出したものではないし、人間がコントロールできるものでもない。むしろ人間は、技術という「自己運動する構造」という巨大な力に奉仕するしかない存在である、と。
 ここでいう「技術」は、「資本」や「言語活動」に置き換えても同じことだ、ということ。
 むずかしいけれど、なんだかおもしろそうだ。
 「自己運動する構造」という概念は、マトゥラナ/ヴァレラやルーマンのオートポエーシス論に通じるのではないかと思うし、今西錦司の「技術の適応放散説」にも通じるのではないか、と妄想が広がる。
 僕もハイデガーを原文で読めるようにドイツ語の勉強をしなおそう、というのはウソ。