雨のち晴れ
 ハングルの学習。サランバンソンニム。
 先ほどのひらめき。我々はすでに巻き込まれている、ということ。鳴門の渦か、はたまた竜巻の渦。あるいはベルクソンのいう自動化した人形の動きのように。我々個々の個人は巻き込みの当事者ではないという点が事態をきわめて判りにくくしている。システム論でいうと、人間個人はシステムの構成素ではなく環境であるということ。意図せざる行為の悪循環(長谷正人)。
 我々は巻き込まれており、その巻き込みをコントロールする当事者でも構成素でもないので、この巻き込みから抜け出すことは不可能である。ホモ・ハビリスたちの石器制作もそのようにして始まったのではなかったか。