5時半起床。やや朝靄のなかの白い富士。次男は今日も9時から塾。長男と三男を連れて池袋へ。昼は西武で豚カツと生ビール。
 人類のコミニュケーションは、他の動物社会には見られない格別なものであり、この人類のコミニュケーションの原型こそが「やりとり遊び」ではないだろうか。私の仮説では、このやりとり遊びから社会システムと心的システムとが分化した。さらに、無藤や河本の説によれば、分化した、あるいは分化しつつある、これら両システムの相互浸透から自己意識が形成された。やりとり遊びは、伝達の起源(大澤)であり、交換の起源(バタイユ)であり、分裂病(ホロビン)の治癒行為の発現であり、暗黙知が働くときに生じる快感メカニズム(伊勢史郎)の起動である。
 木村大治のいう道具性の起源は、伊勢の説でどのように解読できるか。